大本神諭 |
●この内部のごたごたが世界に出来るぞよ。いつ大本にこういう事
がありたという事を、つけとめておいて下されよ、世界の鏡になる
大本であるから、世界にあること、雛型(かた)を
して見せるぞよ |
伊都能売神諭 |
●三千世界の大化物(※王仁 三郎氏のこと)じやと申して、是(こ れ)までの大出口直の筆先に毎度出さして在ろうがな。此(こ)の大化物が全部(すつくり)世界へ現はれる時節(じせつ)が近ふなりて来たぞよ。神が一度 筆先に出 したら何時になりても違ひは致さぬぞよ。斯(こ)の 大化物は三千世界の晒し物であるから、今の普通(ひ ととうり)の人民では見当が取れんやうに致して在る が、今に何も彼も皆判りて来て、日本の人民がアフンと致して、眼舞(めま)いが来る者が沢山に現はれて 来るぞよ。珍らしき事の判る世界の大本で在るぞよ。 |
上記引用は、大本で起きた事件や出来事などが、日本と世界に起こって来るという一節ですが、これらはかなり大本神諭等に散見されるものですが、実際にど
のような事が起きたのであるか、大本と日本の歴史を、抜き出してみたいと思います。
ちなみに、この事は比較的に有名なことであるので、既にご存知の方も多いと思いますが、一応参考がてら、ご覧ください。
ただ、残念ながら弾圧によって、大部分の資料は焼かれてしまった為、判断できませんが、恐らく上記の神諭の様に、大本内部の出来事を細部まで記録
してい
た資料が、もし在ったのならば、更に色々な事が分かったのではないかと思います。
年月日 | 大本に起きた事件 | 年月日 | 6年後の同じ日 |
S.9年7月22日 |
東 京九段の軍人会館で昭和神聖会を発足。この時の副総裁は日本右翼運動の創始者、内田良平。以後大本は急速に右翼化 |
S.15年7月22日 |
東京九段の軍人会館で近衛内閣が組閣される。陸相の東条秀樹が大政翼 賛会を発足。 以後、日本は急速に右翼化 |
S.10年12月8日 |
憲兵特攻が、松江の宍道湖(しんじこ)近くに滞在していた王仁三郎を 奇襲、検挙する。 |
S.16年12月8日 |
海軍の特攻隊がハワイの真珠湾に停泊中の、アメリカ太平洋艦隊に奇襲 攻撃をする。 |
S.11年4月18日 |
綾部・亀岡の聖地所有権が町に移され、ダイナマイト1500発にて全 国の大本関連施設が破壊され、瓦礫と化した |
S.17年4月18日 |
米軍機が東京・名古屋・神戸等の本土上空を空襲、爆撃によって日本の 各所が廃虚と化した。 |
S.20年9月8日 |
大審院にて大本は無罪となる。王仁三郎は国に対する賠償請求を放棄。 |
S.26年9月8日 |
サンフランシスコ講和条約が結ばれ、太平洋戦争が終結。戦後連合国は 日本に対し、賠償を一切放棄した。 |
これを見る限りにおいて、大本で起こった事件は、6年後 の同じ日に、日本に似たような出来事が起きている事が分かります。
又6年後という事で、
4年に
一度ある閏年まで一致しています。大本弾圧事件発生~最終解決までの期間は9年9ヶ月で、太
平洋戦争~サンフランシスコ講和条約が結ばれる迄の期間も9年
9ヶ月でした。
年月日 | 大本 | 年月日 | 日本 |
昭和10年12月8日~昭和17年8月7日、6年8ヶ月(2435日 閏年2回) |
王仁三郎が投獄されていた期間 |
昭和20年8月27日~昭和27年4月27日、6年8ヶ月(2435日 閏年2回) |
日本が連合国の占領下にあった期間 |
しかし、実際にはこれだけではなく、王仁三郎氏曰く、当時大本に対して盛んに「邪教集団」「危険思想集団」と罵詈雑言を浴びせられた事は、そのま ま日本へと移り、世界から「日本は信用置けない」「侵略主義である」といった盛んな排日運動に至ったのだと、説明しています。
又大本の役員の中にも、私利私欲によった権力闘争などが、少なからずあった様ですが、これらも突き詰めれば、日本の政府の内情が大本に写り、又大本の内
情が、政府に写っているとの事
です。
一般的には大本とは宗教団体であると認識されていますが、前述した様に善と悪の部分が内包されています。
大本神諭 |
●この大本は万古末代、善と悪との鏡を出して善悪の見せしめを致
す、世界の大本となる尊い所であるぞよ |
人々の鏡として大本には身霊相応に、『善の鏡』もあれば『悪の鏡』も出現する所で在るようです。
後述する様に、大本の影響を受けた新興宗教は無数にあると言ってもよく、無意識に、或いは意図的に模倣してる所もあるかも知れません。
王仁三郎氏が、床次竹次郎(政治家)氏の弟である真広氏に充てた遺書の中に
出口王仁三郎 |
・いま、大本にあらはれし変性女子(注:王仁三郎氏の事)はニセ
モノじゃ。誠の女子があらはれて、やがて尻尾
が見えるだろ。女子の身魂を立て直し、根本改造しなくては、誠の道は何時までも開くによしなし。さればとて、此れにまさりし候補者を、物色しても見当たら
ぬ。 -床次真広氏宛ての遺書-
|
というものがあります。日月神示を受けた岡本天明氏は、東京から美濃・尾張を経て、中央の三重県に最終的に居を構えた為に、天明氏を示してる可能性があ りますが、実は霊界物語の中にも上記の遺書と実にソックリな文が出てきます。
その霊界物語を読んだ人々の中に「我こそは本物の変性女子である」と主張す
る人達が出て、大分騒ぎになった事があります。
その後、「(前略)一人の目明きが気を付ける、などと慢心して御座
る。」と
いう文章に訂正したという経緯があります。
日月神示と似た、ひっくり返しがあった訳ですが、この偽救世主騒ぎが何かしらの型に関係しているかも知れません。
いずれにせよ、大本から影響を受けたか、或いは波及したと考えられる物事の中には碌でもないものが多い(後述)のです。
善の鏡も少しは無いのかと言えば、一厘の仕組みではないですが、九分九厘までは偽物、本物は残り一厘という事かも知れません。