このページの主旨として、内容の判断・解釈等は基本的に読み手の方の自由に委ねるという方針で居ます。
そのため本音を言えば、資料の紹介・引用を主体にしたい所ですが、それでは著作権的に宜しく無いので、個人的見解という立場で書いています。
尚、出口王仁三郎氏他、明治時代に活躍した人物に関しては、死後年数が経過している為著作権フリーになっています。
※当サイトは一見すると、大本やその関係、霊訓などの宣伝に見えるかも知れません。しかし、運営者はどこの宗教団体にも所属していません。 |
誰もが一度は、人間死んだらどうなるだろう?と疑問に思った事があると思います。自分も小さい頃には、それなりに疑問に思っていました。 しかし、多少成長してくると、宗教とかは為政者が統治し易いように作られた方便ではないか?という疑問を持つようになりました。 またこの疑問に対して正確に答えてくれる人は居ませんし、霊界の実像を伝えるという人達の著書も、読んでみれば分かりますが、これという定義が無いので人それぞれに様々な呼び方をしている為、バラバラな印象です。
途中で出口王仁三郎なる人物を知る機会がありましたが、それとて正しいのかどうかサッパリ分かりません。 非常に興味深い人物であることは分かりましたが、当初は本当に判断に苦しみました。何故なら彼の師匠とも言える直子刀自は、神に委ねられた人物というよりもむしろ呪われていると言った方が正確な環境に居ました。
また、色々調べていくにつれて、日本の国についても、色々と訳がありそうな事柄に突き当たるようになりました。 果たして彼は何者か?また日本にはどういった存在意義があるのか?それ等の謎を、少しづつ検証して行きたいと思います。 またこれは自分自身にとって解決を付けたいと思う問題であり、従って出来る限り公平に見ていきたいと思います。
大本神諭 |
●変性女子(王仁三郎氏の事)は人民からは赤ン坊なれど、神が憑つりたら誰の手にも合はん身魂であるぞよ。 |
上記の様に、スピリチュアリズムに関する引用個所などは、青字で現わし、重要個所などは赤字で現わしています。また神諭類に関しては、先頭に●印を入れて有ります。
本来は、直子氏の神諭は「お筆先」と称するべきですが、混乱を避ける為、王仁三郎氏の漢字を充て、句読点を付けるなどで読みやすくした「大本神諭」という表記にしています。
また日月神示も、現代語の文は『ひふみ神示』と称するべきですが、混乱を避ける為、日月神示に統一しています。
尚、出口王仁三郎の著作やその他引用として取り上げた書籍は、タイトル等の情報を併記していますが、その他神示系や霊訓関係のものは、同じ書籍の繰り返しとなるために省略しています。
その省略されたものに関しては(参考文献でも取り上げますが)以下からのものであると考えてください。