ホツマツタヱは、十三代目の天皇になるはずだった「日本武(やまとたけ)尊」全国平定の旅の途上で、病死してしまったのを契機に、尊の意志を継いで作成されたと言われる文献です。
尊の父である「おしろわけ」(景行天皇)の命を受けて、祖先の「くしみかたま」が書き留めたものに章を加え「をおたたねこ」(大田田根子)が完成したと言われています。
また幾つかの文献を集大成したもので、「カグミハタ」「ホツマ」「ミカサフミ」「フトマニ」に分かれています。ホツマツタヱの特徴は、五七調の形式をとって表現されており、又現代では「第一巻」「第二巻」という所を「あや」という表現を使い「一綾」「二綾」という織物の表現を使っている点です。
縦糸と横糸を使った織物の表現、綾(あや)というのは、「経糸と緯糸の綾なす仕組み」という大本神諭の表現を、また五七調の形式は、王仁三郎氏の得意な七五調の歌を彷彿とさせます。
出口王仁三郎 |
身体も霊魂も共に重病に犯されて居るのが、現代の世界一般の人々の有様であります。一時も早く、片時(へんじ)大本神諭(おほたゝねこ)を喚起して、速やかに神宮を金輪際(したついわね)に遷座(せんざ)し神祇を祭祀して、天下の疫気を悉(ことごと)く終息せしめ、国家安平の実を挙ぐる神事に努力せなければ成らぬ時運が、迫って来たのである。 -『國教論集』/出口王仁三郎-
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上記は、王仁文庫(第一輯)に掲載されたものですが、大本神諭と書いて「おほたゝねこ」とルビを振っています。
記紀はむろん、前述のようにホツマツタヱの完成も、太田田根子(大物主神の子)が成したとされていますから、やはり奇妙な因縁を感じます。
内容的には、精神修養的な側面が多く、前述した様に非常に情緒的で、全体に調和の採れた、美意識を感じさせるものになっています。秀真伝に没頭する人達も、この点に惹かれた人達が多い様です。
ホツマツタヱの世界が持つ歌の世界を知ってみれば、現代人が恐らく一般的に持っている、他国との交流が少なく未開な縄文人、といったイメージとは かけ離れた感じが有ります。
ホツマツタヱ | 現代語訳 |
花杵尊(はなきね)は、五七に綴るを |
素盞嗚尊は、五七調に歌うのは何故かと |
姉に問ふ、姉の答えは |
姉和歌姫に問いました。姉の答えは |
「天地(あわ)の節」、また問う「祓い |
「天の節(天体の運行)であるから」又素盞嗚尊は問い「祓い |
三十二(みそふ)なり、今三十一(みそひ)とは」 |
の歌は32音ですが、今31音なのは?」 |
「この教ゑ、天の巡りの |
この教えは、太陽の運行の |
三六十五(みむそゐゑ)、四つ三つ分けて |
365日の一巡を、4分し又3分で |
三十一なり、月は遅れて |
31日です。月は遅れて |
三十(みそ)たらず、まこと三十一ぞ |
(満月から満月迄)30日足らずです。太陽から割り出した31日が本当の数です |
しかれども、後先かかり |
しかしながら、前後(節目日数の違い)で |
三十二日(みそふか)も、ある間窺(うかが)う |
32日弱となる月もあり、その節目の隙間を窺う |
汚穢(おゑ)ものを、祓ふは歌の |
魔物が憑くのを、祓う為には歌の |
声余る、敷島(しきしま)の上(ゑ)に |
声(息吹?で)敷島の大和の国に |
人産まれ、三十一日にかす |
(日の精霊によって産まれた)男子は、誕生日より31日目に |
女(め)は三十二日、歌の数もて |
(月の精霊によって産まれた)女子は、産まれてより32日目で、歌の数によって |
はに謝(こた)ふ、これ敷島は |
大地に謝する(産土神に感謝する)のです。敷島大和とは |
和歌の道かな |
和歌の道によって支えられる、国なのです。 |
上記は、素盞嗚(そさのをの)尊が姉和歌姫に質問する様子を歌にしたものですが、そもそも一年が365日であったり、太陽と月の運行を知っていたのでしょうか?この様に当時の技術力では到底分からないことが記述されている事があり、この部分は謎です。
ホツマツタヱには、オシデと呼ばれる文字で「アワ(天地)の歌」というものが出てきます。
日月神示にも、アレであったりアワヤ(天地人)、ワヤ、といった言葉が神代文字で登場してきますが、ホツマツタヱを彷彿とさせるもので、意味も又同じであったりします。
江戸時代の言霊学者、中村孝道(王仁三郎氏の祖母の兄にあたる)が真澄鏡(ますみの鏡)を宮中から発見し、言霊学が発展した と言われていますが、この真澄鏡と同様のものが京都の陽明文庫に残っており、この文庫の中にオシデ文字で書かれた琴の図が描かれ、「神代の琴の形にて万の事の本なり」と記されています。
五弦にそれぞれ「アイウエオ」を配したこの琴で「アワの歌」を歌うことで、五臓六腑(ゐくらむわた)が整うとされています。
このホツマツタヱでは、「言の葉」は「琴の葉」であり、九十(コト)であり、九重(ここのえ)とトの天神を結ぶ楽器であると解釈できるようです。
日月神示の原文では、神代文字と数字が無数に出てくると紹介しましたが、コトは九十で表されています。
日月神示 |
●誠とはコトざぞ口でないぞ、筆でないぞコトざぞ、コト気付けと申してあろがな。コト、コト、コト、ざぞ。始めウタあったぞ、終もウタぞ、今も昔もウタざぞ、人民も動物もウタ唄ふのざぞ、終の御用の始はウタぞ |
ホツマツタヱに「天つ君、一(ヒ)より十(ト)までを尽くす故、仁(人=ヒト)に告(の)ります」という歌がありますが、人とは十(ト)の神の「十の教え」を一~十まで尽くすことを意味する様で、そこまで至らない一~七までの段階を一七(ヒナ)と表現しています。
伊都能売神諭 |
●世の元の大御宝を占め固める折りに、差添(さしそえ)に成って活動なされた神は、真道知彦命、青森知木彦命、天地要彦命の三男神と、常世姫之命、黄金龍姫之命、合蛇琉姫之命、要耶麻姫之命、言解姫之命の五女神、合わして三男五女八柱の神を育て上げて、差添の御用を命せなさったのが若日女岐美(わかひめぎみ)尊であるから、是が九重の花と申すのであるぞよ。 |
大本神諭や霊界物語、伊都能売神諭といったものの中には三男五女といった言葉がよく出てきますが、ホツマ研究の第一人者、鳥居礼氏によるとホツマツタヱ全般に「トホカミヱヒタメ八神」があり、八重垣の臣、九重(宮中)に座して「伊勢の道」を民に教える君がおり、そのもとはトの天神に連なる「十の教え」という八、九、十の法則が見受けられるそうです(言霊ーホツマ/鳥居 礼:たま出版)
前述のように、そこに至らない一~七までの状態をヒナと表現する訳ですが、日月神示には八方的世界から十方的世界へ移るという表現が見られます。
ちなみに、日月神示原文で誠とは(0九十=マコト)と表します。
日月神示 |
●マコトの言(コト)を聞いて誠に早う立ち返りて下されよ、○九十(マコト)とは○一二三四五六七八九十であるぞ、一二三四五六七八かくれてゐるのざぞ。 |
あくまで、ホツマツタヱ風に(?)解釈した場合には、これまでの七重や八重(七重はキリスト教、八重は仏教や今の神道とも神示に書かれている)から、ゼロも含めて九・十も(0九十=マコト)を加えて開く真理、とも受け取れますが、ここではこの辺にしておきます。
最後に、再びホツマツタエそのものを紹介します。
ホツマツタエ |
現代語訳 |
月はもとより |
月には元来 |
ひかりなし、ひかげをうけて |
光はありません。太陽の光をうけて |
月のかげ |
月は輝くのです |
これも何故か分かりませんが、月の輝きは元来太陽の日の光を受けて輝いているということを知っていたことになります。こういった、現代の常識では考えられないようなものが書かれている点も、古代文献の多くは贋作とされる根拠となっているのではないかと思います。
ホツマツタエ |
現代語訳 |
こずゑおもふに |
子孫の事を思ってみるに |
いましめの、なければみだる |
戒めが、無ければ乱れていきます。 |
はたれまの、たからあつめて |
ハタレ魔が、宝を集めていきます |
すえきゆる、これすずくらぞ |
その人達の行く末は消えていきます、これは鈴暗の道です |
いきのうち、欲しをはなるる |
肉体の或る内に、欲望を離れること |
これはすずかぞ |
これは鈴明の道といいます。 |
前述した教え導く道「鈴明(すずあか)の道」の説明が少し出てきます。ちなみに、「シルバーバーチの霊訓」で知られる「シルバーバーチ霊」とは、約3000年前に生きていたインディアンということです(厳密には、シルバーバーチ本人では波長が合わな過ぎる為、地上へ仲介する役割が元インディアンの魂で、シルバーバーチ本人は最後まで謎だったのですが)
このホツマツタヱや大本神諭やら日月神示が本物であったとして、大本関連や日月神示に関わった魂が、ひょっとすればホツマの時代に生きていた人物だった可能性がある様に思います。