人類史上最も古い文明は、メソポタミヤ文明と言われていますが、その文明を築いた民族シュメール人は(シュメール[Sumer]とは英語読みの発 音で、ラテン語では「スメル」と発音するようです)原住民の骨格とは異なっており、民族不祥とされていますが、忽然と現れて、学校・建築・農業・工業・法 律など、様々な文明を築いた後に、また突如と消えてしまった謎の民族です?
また、記録ではシュメール人が自らを表現するのに、「キ・エン・ギ」という呼び名を使っていた様です。
このキ・エン・ギとは「葦(あし)の主の地」という意味があるそうです。イラクの
チバイッシュという所などに、葦の茂った区域がある事等から、こう呼ばれていたのではないかと考えられています。
実は霊界物語中にも「メソポタミヤの顕恩
郷、豊葦原の水穂国・・・」という表現が出てきます。
普通「豊葦原の水穂国」というのは、神話に描かれた日本の呼称なので、メソポタミヤが豊葦原の水穂国というのは無茶苦茶なのですが(もっとも、その表現
はメソポタミヤだけではなく、世界中を指して呼んでいた様です)…。
また王仁三郎氏の『霊界物語』には太古の歴史において「国常立之大神の神政は最初トルコのエルズ
レムであったものの、ヤマタオロチ、金毛九尾の狐が神人に憑依し、次第に神政も乱れて、遂には地球の東北にあたる日本に押し込められてしまった」と
いう事が描かれています。
九鬼家は大本と因縁が深いと、王仁三郎 氏 は直女史から連日のように聞かされていたという逸話からも伺えるように、大本と九鬼家とは、深い因縁があるようで す。その九鬼家の家紋である『九陽紋』は、古代シュメールで神を現わす文字「ディンギル」がルーツではないかと、言われています。その九鬼家にまつわる、 興味深い話しを発見しました。
1960年にメソポタミヤの、シュメール文明の首 都ウルの遺跡から発見された粘土版の中から、古代の楽譜が発見されましたが、カルフォルニア大学のアンネ・D・キルマー女史は、それを現代の五線譜に再現 する事に 成功し、その再現された音楽を、評論家の岩田明氏がテープにダビングする機会がありました。 私はこの古代のメロディを聴いた時に、初めて聴くにしては妙に懐かしいものを感じた。 もしかしたら日本の古い音楽と関係があるのかもしれない。そう
思った私は、このテープを持って紀伊半島の熊野本宮神社の九鬼宗隆宮司を尋ねた。 -『日本超古代王朝とシュメールの謎』/岩田明著:日本文芸社刊-
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九鬼家は、水軍の出身で海人族(あまぞく)と推察され、渡来系ではないかと考えられます。
又更に、大本の発祥の地である丹波や丹後辺りも、渡来系民族が住みついたと思われる遺跡などが、沢山発見されているとの事です。
また『富士文献』では、国常立尊は高天ノ原から日本にやってきたという事ですが、太古の高天原は現代のイランとイラクの付近であったという事ですから、 仮に「シュメール人が日本に渡来してきた」という事は現実にあり得るのではないかと 思います。
すると気になるのは、シュメールと日本の風習や風俗に関連性は見られるのか?という点ですが、主だったものを列挙してみます。
1漁法 2石像 3家紋 4十六菊花紋 |
上記のように、様々な所から、古代シュメールと日本の類似点を挙げる事ができます。これらの、デザインなどでは、偶然の産物と いう事も可能だと思います。「菊花、或いは太陽をモチーフにデザインをしろ」と言われれば、現在でも似たようなデザインを、偶然複数の人間が創り出 す事は、別段不思議でもないように思います。
ただ、神話に関する部類では、余りにも類似性があり、少々偶然というだけでは、こじつけに近いと思います。古代において、その 様な出来事があったかどうかは別としても、シュメール人の部族の幾つかが、日本に渡ってきた渡来系であると、見た方が自然であると思います。
天皇の象徴である『十六菊花紋』が、ユダヤの紋章として多く使用されている訳ですが、実はユダヤに関連する以外にも、古代シュ メール文明の跡地の、至る所に見受けられるのです。つまり、十六菊花紋自体に関しては、ユダヤ=日本という図式というばかりでは無いことになります。
上記日本超古代王朝とシュメールの謎』によりますと、例のイラ・イラ戦争の折り、サダム・フセイン大統領が、バグダッド の官邸で戦闘情勢に対しての記者会見を行った際に、以下のようなエピソードがあったそうです。
ヨーロッパの或る記者が、大統領の腕輪のデザインが十六菊花紋であるのを見て
「大統領閣下、閣下が身につけておられる腕輪の紋章は、日本の皇室の物
とよく似ておりますが、何か日本と関係があるのですか?」
と尋ねたことがある様ですが、その時に、フセイン大統領は、こう答えたそうです。
「あなたがたは古代メソポタミヤの歴史について、もっと勉強をしてほしい。この紋
章は我が国の祖先が、世界最古の文明を築いたシュメール王朝時代に用いてい
た、王家の紋章です」
王仁三郎氏は、各宗教・宗派は、根が同じ物であるとして「諸教同根」を唱えて いました。又神示類にも、それ等と思しきものが幾つか見受けら れま す。それでは、古代シュメールにまつわる伝承などから見ると、どうであるので しょうか。
旧約聖書では、アブラハムはカルディアのウルという地で産まれたとなっています。カルディアはシュメールと同じ意味であり、又
その首都「ウル」で誕生したという訳です。
アブラハムが、シュメール人妻サライとの間に子供が出来ずに、悩んだサライがエジプト人の召し使い、ハガルを差し出す。そうして産まれた長男がイスマエ
ル。やがてイスマエルの末裔がアラブ12支族を産み、イスラム教の開祖マホメットが誕生する。
一方、ようやくアブラハムと正妻サライの間に、イサクという次男が誕生する事になり、そのイサクの末裔がユダヤ12支族 を産み、ダビデ、ソロモンなどの王を産み、キリストが誕生するに至った。という事の様です。
又シュメールには、月神・水の信仰というのが有ったようです。これは丁度、瑞月という雅号を持つ、王仁三郎氏を連想させ るもの(大本で王仁三郎氏は、月と水を象徴とする、瑞の御霊と言われていた)ですが、イスラム教の旗は、古代では月 をモチーフにしてた為、現代でもイスラム教国家の国旗は月をモチーフにしたものが多いのです。
ちなみに前述の十六菊花紋が、イスラム教の一派であるバハイ教の本部にも紋章としても使われています(大本が提携を行っていた処)
ユダヤの紋章としてはさほど珍しくないものですが、イスラムとも仮に根は同じであるとするならば、(或いはそうであるからこそ)互いに『聖地』として、
エルサレムを奪い合うという結果に繋がっているのかも知れません。
本来のユダヤ教には、シュメールの神を信仰する多神教であり、ヤハウェ1神教となるのは、旧約聖書の編纂された時期辺りからだと推測されていま
す。
信仰に関しては、シュメール教=ユダヤ教であったという訳です。このオリエント信仰には、古事記に出てくる神話と非常に良く似た話し(日本神話の天の岩
戸開き)が残っています。
大陽神バールは、冬至の日には力を弱めて死んでしまう。すると世界は暗黒に覆われて農作物も採れなくなってしまう。雌牛も子供を産まず、乳も出な
い。そこで永遠の力を持つ、バールの妻神アシュトラは、黄泉の国へとバールを迎えに行って、バールをこの世に連れ戻しに来る。この際にバールとアシュトラ
が出現するのは、水辺にある岩からである。
またエジプト神話のイシス(イシヤ=フリーメーソンの女神でもある)はアシュトラ神であり、オシリスはバール神の別称です。オシリス(つまりバー ル神)はその象徴として、オリオンの三つ 星、オリオン座の神であり、オリオン座の三つ星の位地と、三大ピラミットの位置関係が同じである、というのは『神々の指紋』の作者、グラハム・ハンコック 氏の調査にあるという事です。
古代ユダヤ教では、バール神を明けの明星という別称で象徴しています。
ところが王仁三郎氏の『霊界物語』や和歌などには、オリオンの三つ星や、逆の宵の
明星といった言葉が出てきます。
しかし、キリスト教では『明けの明星』の象徴の、天界一の天使が傲慢の罪で地獄に落とされたサタンであるとしています。
シュメールの神から、一神教のヤハウェ信仰に代わってしまった訳ですが、国常立大神も退隠を余儀なくされ、常世彦に神政を交代せられた、という話 しと似ています。 旧約聖書のモーセは、シナイ山(火山)でヤハウェと出会った後、牛の角が生えた(現代の聖書では光と変えられた)としていて、中世の聖画に描かれたモー セには角のような二本の光を放っていたり、ミケランジェロ・サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ聖堂のモーセ像には、角が生えています。これらは牛角の生え たバール神を彷彿とさせるものです。
霊界物語 | シュメール神話 | 旧約聖書 |
救世主の霊性(瑞の身魂)を象徴的に『宵の明星』『オリオンの三つ星』と 表現した |
バール神を象徴的に『明けの明星』と表現していた。又エジプトで は『オリオンの三つ星』と表現した。 |
天界一の天使を『明けの明星』としていた |
神素盞尊は別名牛頭天王であるとしていた。 |
バール神は牛のような角が生えていた |
モーセがヤハウェと出会って山を降りた時に、二本の角が生えた |
国常立大神と妻神の豊雲大神は、神政から退去せられ、天教山の噴火口に 身を投じた。 |
バール神は、地に降臨する時には火山に宿ると言われた |
モーセがヤハウェと出会ったシナイ山は火山であった。 |
国常立尊は退去せられた後、鬼神・祟り神と罵られた |
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ヤハウェ一神教となった後『明けの明星』であった大天使は、傲慢の罪によって地獄に落とされたサタンとなった |
バール神の妻神であるアシュトラ神は、角を生やした蛇体の姿として描かれていま す。余りにも現代の神のイメージとはかけ離れています。この角を三日月に喩えて、月信仰というのが古代シュメールにあった様ですが、王仁三郎氏伝達の伊都 能売(いず のめ)神諭には、以下の一節がありますが、この類似性は、一体何を意味するのでしょうか。
伊都能売神諭 |
●丁度喩えていえば朧月夜の二三相倍も暗い冷たい世界で、山も河
も草木も何一種なかったのであるぞよ、その泥の世界に身の丈は五百丈
ばかり、身の太さは三百丈程もある蛇体の荒神が住居して居られたのが、御精神の良い大神様の前身で、これが五六七(みろく)の大神様と御成り遊ばしたので
あるぞよ。 ・・・(中略)・・・
同じく似たやうな御姿の大蛇神が
現はれたが、この神には一六本
の頭に角が生えて、その角の先から大変な光が現れて居る神様に、五六七の大神様が世界創造の
御相談をおかけになったのであるぞよ。 ・・・(中略)・・・
畏れ多きミロクの大神様、日の大神様の御姿まで筆先に出して知
らしたから、何時までも発表を見合はす事は出来ぬから、実地の姿を書き記すぞよ。 |