ペトログラフ(ペトログリフとも言う)は、戦後に出来上がった、比較的歴史の浅い学問で、世界各地に残る遺跡等に刻まれた、文字や絵画等を解読・ 研究をするというもので、素人考えでは、言語学・古代史・地質学等、結構色々な事柄に明るくないと、中々研究も難しそうな分野です。
さて、何故に岩刻文字が、ここで出て来るのかと言うと、大本等の神示にでてくる事柄をみると、かなり太古の事等の言及も有り、又実際のところ、神
示の内容を補完し得る事柄も、見受けられると判断しましたので、取り上げる事と致しました。
それは多くの場合、神代文字といわれる、日本の漢字到来以前の、文字と言われるもの(アヒル文字、アヒルクサ文字、トヨクニ文字等)が使用されている神
示類を、時折見受けられる点、又「先祖の神」等、太古の日本の先祖を匂わせる文が、幾つか見うけられる点で、それを証明するのに、状況証拠としての岩刻
文字を研究する必要があると思います。
日月神示には『ひふみ祝詞』という祝詞が、登場してきます。この祝詞自体は、意味が不明であるものの、比較的日月神示上に散見されるものです。
日月神示 |
●ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そ をたはくめか、うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ ひふみ祝詞であるぞ |
上記のひふみ祝詞は、弘法大師の作といわれている、イロハ歌(色は匂えど、散りぬるを)と同様、一つの同じ文字の使用無く歌としています。
また天の数え歌と同じ様に、ひ(一)ふ(二)み(三)…こ(九)と(十)も(百)ち(千)という様に数であるのは分かります。
この日月神示に見られる、ひふみ祝詞は、江戸時代の国学者、平田篤胤という 人物が『神字日文伝』にて「出雲大社の竹筒に残されていた神代文字」として、阿比留 草文字(アヒルクサモジ)で書かれたひふみ祝詞を、古代日本人が漢字到来以前に使っていた和文字であると発表していました。
しかし、常識として日本には漢字到来以前に文字は無かった。この文字は、贋作であるとして除外されていました。
しかし、この神代文字で書かれた歌が奇しくも近年発見されました。それは、熊本県阿蘇群蘇陽町大野の、幣立宮に御神体の鑑という石版が有り、その表裏に
意味不明な文字が刻まれている、という情報があり、TV朝日の「ニュースステーション」の古代岩刻文字の謎を追うという企画で、件の石版の取材を行った。
というものです。
その際に、岩刻文字研究の日本での第一人者、吉田信啓氏に調査の依頼があり、その解読を試みました。
問題の石版は厚さ二センチ、幅八センチ、長さ一三センチ程の大理
石の様な細長い将棋の駒形の石版。表に「豊国文字」、裏にはその草書体である「出雲文字」(阿比留草文字)が彫られていた。 ・・・(中略)・・・
帰宅してから、撮影した写真で解読を試みたが、後半の部分が光
線の具合などでハレーションを起こしていて鮮明に再現できなかったため、解読が出来ないままにしていた。 -『神字日文解』(かんなひふみの解)/吉田信啓著:中央アート出版社刊
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この様にして、解読されたのが、日月神示上に見られる、『ひふみ祝詞』と全
く同じ祝詞であったのです。
この宮は、阿蘇でも最も古いお宮であり、又「五色の人面」や「水の珠」というユダヤ教のメッカで同じ物が存在するという宝物、又「モーゼやキリストも修
行に訪れた」という社伝も存在するという謎の多い宮ですが、どうも偽書と言われる「竹内文書」の内容を想起させます。
明治時代の学者の説では、この神代文字で書かれた「ひふみ祝詞」を「朝鮮の諺文を基とした贋作」であるとして否定している訳ですが、阿蘇の由緒あ る宮の神宝から発見された、という事は少なくとも、別の物にすり替えたという事は考え難 く、神代文字というモノは存在する可能性が高いと思います。
しかし、自分も言語学とかには、サッパリなので、明治の学者がどの点をもって、朝鮮の諺文を基としたという説に到るのか判りませんが、ともかく朝
鮮の諺
文と、何らかの共通性が見出せたからだと思います。
日本人なら誰でも知っている「万葉集」等も、何故か古代朝鮮語で解けば、難解な歌も、すんなりと解ける
そうで、案外古代に於いて、日本と朝鮮とは密接な交流があったのではないか?という気が致します。
少なくとも、世界各地で発見される岩刻文字は、実は日本国内で無数に発見されており、それらがデタラメに刻んだもので無ければ、漢字以前に
何らかの文字が存在したと考える方が自然な気がします。