日本の古代史

アマテラスとスサノオ

 日本の正史と言われる古事記と日本書紀(いわゆる記紀)には、姉神の天照大神は皇祖 であり、また弟神の須佐之男命は乱暴な神として伝えられています。
 神話の「天の岩戸隠れ」も、須佐之男命が暴れまわった為に、天照大神が岩戸にお隠れになったという物語になっています。

 しかし、日本全国には天皇の皇祖である天照大神ではなく、むしろスサノオノミコトを奉る神社がおびただしい数になっています。また岐阜県七宗町 「神淵(かんぶち)神社]に は別称「弥栄(やえ)天王山」と言い、須佐之男命と、十拳剣神霊が祀られていますが、 この神社は天武天皇が、壬申の乱の時に祀られたと記録されています。

 また一条天皇が天王社(牛頭天王発祥のと言われる神社)の号を贈られる200年も前に、津島神社は弘仁元年(810)正月に、嵯峨天皇が「素尊(すさのおのみこと)は即ち皇国の本主なり、故に日本の総社と崇め給いしな り」と称され「日本総社」の号を奉られました。
 この号を贈られた時期は、記紀はとっくに完成し、暴虐な神スサノオの事と、皇祖である天照大神の事も、天皇陛下であれば当然知っていたはずだと思うので すが、このように何かが不自然なのです。

 また、天照大神の別称は、「大日靈貴(おおひるめむち)尊」(注:実際は靈 の字の下は女という字)とも呼ばれていて、東北地方に圧倒的に多いようです(秋田・宮城の大日靈神社等)。
 しかし大日靈という字は、霊女(巫女)の意味で用いられた様で、宮崎県高千穂市の祖母嶽神社は「大日霊女貴命」、島根県の志々乃神社は「大日霊女命」と 記されているそうです。 また正式な名は「撞賢木厳御魂天疎向津比売(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)命」と 呼ぶそうです。(鹿児島県財部町の日光神社、福島県保原町の神宮宮他、多数)

 これは一見して、出口直女史の系統、「厳霊」を彷彿とさせます。また、王仁三郎氏の著作中にも、同じような名の神霊が出てきます。

出口王仁三郎

●天之御中主(あめのみなかぬし)大神の御精霊体の完備せるを、 天照皇大神、または撞賢木厳御魂天疎向津媛之神言と称し奉る。これ撞(つき)の大神なり。ツキとは無限絶対、無始無終、過去、現在、未来一 貫、至大無外、至小無内の意なり。

 なお、撞(つき)とは、月界守護の月の大神様の言ではない、という事です。

ニギハヤヒ命の不思議

 一方、ニギハヤヒ(饒速日)命の場合、「天照国照彦火明命」「天照国照彦天火櫛玉饒速日命」と いう尾張氏の祖神という伝承が残っています。(愛知県一宮市:真清田神社、同北条市国津比古命神社、福岡県鞍手群宮田町:天照[てんしょう]神社など)

 むしろ、アマテラス大神よりも、ニギハヤヒ命の方に「天照」が冠されている のです。
 記紀の方では、天火明命(ニギハヤヒ命の簡略)は、天照大神の長男(天忍穂耳[あめのしほみみ]尊)の子供、という事になっています。
 ところが、通常では親子、主従、夫婦など、共に祀ってある場合が殆どですが、天忍穂耳と天火明命親子の祀ってある神社は殆ど存在しません。 天忍穂耳の本宮といえる、福岡県英彦山神宮にすら祀られていないのです。

 これまでの伝承では、アマテラス大神(スサノオの姉神)よりも、むしろニギハヤヒ命の方が、アマテラスの様な感じを受けます。更に、久留米市大石 町の伊勢天照御祖(いせあまてらすすみおや)神社の祭神は「天火明命」であり、京都府宮津市の籠(この)神社の主祭神は、彦火明命で、相殿が天照大神・豊 受大神です。
 天火明命とは、天照国照彦天火櫛玉饒速日(あまてるくにてるひこほあかりくしたまにぎはやひ)命の、短縮したものと目されていますから、伊勢の天照皇大神の祖先の祭神は実はニギハヤヒ命だったということになります。

 実は日月神示にも、天の岩戸隠れ神話に触れている部分があります。

日月神示

●(前略)次の岩戸閉めは天照大神のときぞ、大神はまだ岩戸の中 にましますのぞ。ダマシタ岩戸からはダマシタ神がおでましぞと知らしてあろう。いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神揃 ふてお出まし近こうなって来たぞ。

 上記のなかでは、記紀神話にある天照大神の岩戸開きの神話は、実は偽の神が出現したので、本当の天照大神、天照皇大神、日の大神が、これから出現 して来ると受け取れます。

 これは、今迄真理と目されていたものがそうではなく、本当の真理が見つかるという意味で象徴的に捉えていました。
 真理は象徴として、光や太陽をモチーフにする事があるからです。

 しかし、伊都能売神諭に出て来る、王仁三郎氏に懸かっていたとされる神「天照日子命」は、 天照国照彦火明命あるいは、日の出の神ではないかという気がします。
 つまり別の意味での象徴という訳ですが、それというのも神諭中には「日之出の神は変性女史に引き添ふて」という個所も有り、また「竜宮の乙姫と引き添っ て」という表現も幾つか見受けられます。

 竜宮の乙姫、とは王仁三郎氏の奥さんの澄(大本二代教祖、直女史の末っ子)女史の事だと言われていますから、王仁三郎氏と夫婦で活動するという意 味 とも考えられます。

オオトシとイカズチとワケイカズチ神

 京都の大原野灰方町にある大歳神社の記録では、当然祭神は大歳神ですが、その由来記には「代々石棺や石才を造っていた古代豪族の石作連(やざこむ らじ)が祖神を祀った」とされ、「石作連は火明命の子孫で、火明命は石作連の祖神という」と 書かれてある様です。

 ちなみに、石作連については、岐阜県岐南町の石作神社に「石作連は尾張氏と同祖で、天火明 命の末裔である」と書かれてある様です。
 前述した、京都の大歳神社で、火明命の伝承が伝わっているわけですが、神社の名前の通りに、大歳神を祀る社です。大歳神の由来に関しては、同じく京都の 八坂神社に祀られている、八人の子供の内の一人に、大年神が存在します。

 また島根県には、大歳を祀る神社が多数存在しますが、そのなかの飯石群三刀屋町にも、大歳神社が存在し、『神国島根/島根神社庁』「須佐之男の 命出雲に於いて大歳を産み給い・・・」という記述がある事からも、大歳神=スサノオノミコトの子供だと考えられます。
 一方、イカズチ神は福岡県那珂町の高電(注:実際には下の竜の字は龍)神を祀る八龍神社が別名「八雷神社」とも呼ばれ、名古屋市緑区鳴海町の雷神社が別 名「須佐之男社」或いは「天王社」とも言われている事からも、イカズチ神=スサノオ命とも考えられます。

 通常、頭に別けが付けば、分霊、或いは分身、という意味で、子供と言う意味で付けられる事があるようですが、別雷(ワケイカズチ)神は、イカズチ 神の分身、或いは子供とも考えられます。  確かに、イカズチ神の本社は、京都の賀茂別雷神社である様です。
 このワケイカズチ神は、兵庫県の御津町の加茂神社では、主祭神は京都の賀茂別雷神社と同じく賀茂別雷神で、共に祀られているのが「建速須佐之男命」で す。

 更に、静岡県七間町の別雷神社の記録では、「応神天皇四年の創建。古くは大歳御祖皇大神を祀り、その後大宝三年、この地に発祥した安部の市の守護 神となった。明治一七年郷社に列し、同三九年別雷神社と改称」と書かれてある様です。
 これらの伝承からみると、スサノオ命の子供=ニギハヤヒ=オオトシ神という事にな るのですが、更に静岡県七間町の別雷神社の伝承では、オオトシ神=大歳御祖皇大神(おおとしみおやすめおおかみ)という事になり、皇大神の名を冠されてい るのです。

 ここでもニギハヤヒ=皇祖、つまり記紀でいう天皇の皇祖の、天照大御神とい う事になってしまうのです。

日之出神の働き

 義理天上日之出神の神業を受け継いだ、矢野祐太郎氏の研究では、日之出の神は、幾つかの段階でそれぞれ違う働きをもつ様です。以下はそれ等をまと めた物 です。

1段階目
 国祖・国常立尊の第三番目の子供とされて、大龍体を持ち、同じく龍体の龍宮の乙姫を馬にして、諸外国に赴く。龍宮の乙姫は欲深い神 で、経済組織を作り出 した神、月晴別命(高津玉大神)の思念(金銀の概念、運用法)を受け継ぎ、金銀財宝を支配する神と言われていた。
 所が、この龍宮の乙姫もついに改心し、国祖の立て替え・立て直しの神業に参加する事となった。龍宮の乙姫は物資的金銀の守護、そして日之出大神は、ユダ ヤ民族を霊的に操縦した神で、金融を守護、他に国際連盟等をユダヤを使って作らせた。
 この様な経緯で、外国の立て替え・立て直しの準備をしていたが、月晴別命(高津玉大神)が今度日本にやってきて、日本の経済の立て替え・立て直しを実行 し、その後に世界の経済の立て替え・立て直しが始まる。

2段階目
 国祖自身として顕現し、天理・黒住・金光教などの教祖に神懸かりし、最後大本に懸かった。こうして、立て替え・立て直しの準備を進め ていった。

3段階目
 『義理天上日之出神』として、直女史の三女久に懸かった。(この時点で王仁三郎氏の言う所の、日之出の神は、出口清吉氏の生まれ変わ り、日出麻呂氏という説と食い違いが起きている訳です。

4段階目
●龍宮乙姫、日之出の神と引き添うてと前々から言われてい る日之出神は、汝の前に現れた日之出神ではなく、像頭山金毘羅大権現に居られる『日之出生魂大神』である。  という神示を、祐太郎氏が受け(昭和5年)、昭和8年3月23日、この神霊を迎える為、同氏が金毘羅宮奥宮に参じ鎮奉した所
●いよいよこの度時節参り、待ちに待ちし世が参りました。 いよいよ龍宮の乙姫と引き添ふて御神業に参加いたしましてございます。 という神示を受けた。この第四番目の日之出神が、世界の転換期の立て替え・立て直しの総司令官的な役割を担っているという。

大体、上記の様な内容となっています。

ニギハヤヒ神=日之出の神か?

 大本神諭・日月神示などで「イシヤの仕組み」と言われていますが、石屋は神社の石 灯篭を建てる職人なども、「石屋」と呼ぶようです。そして、いわゆるフ リーメーソン(自由の石工)の工作を指して「イシヤの仕組み」と表現しています。

 これは前述したように、仮にもしも、火明命(ニギハヤヒ)が日之出の神としての一面を持っているのだとしたら「火明命は石作連の祖神」という伝承も、何か 象徴的な気がします。 

伊都能売神諭

●世の元の大御宝を占め固める折りに、差添(さしそえ)に成って 活動なされた神は、真道知彦命、青森知木彦命、天地要彦命の三男神と、常世姫之命、黄金龍 姫之命、合蛇琉姫之命、要耶麻姫之命、言解姫之命の五女神、合わして三男五女八柱の神を育て上げて、差添の御用を命せなさったのが若日女岐美(わかひめぎ み)尊であるから、是が九重(ここのえ)の花と申すのであるぞよ。
 若日女岐美尊の後見を為された至善の神様が天照日子(あまてるひこ)尊であるぞよ。天照彦命は海潮(注:王仁三郎氏の事)の肉体に宿りて、五六七(ミロ ク)の御用を致して居るなれど、誰も未だ分かりては居らぬぞよ。この神が表われたら、二度目の世の立て直し、九重の花が十陽に咲くので、三千世界の統一が 成就するのであるぞよ。

 上記の伊都能売神諭様に、十番目の神・天照日子尊が現れると、二度目の世の立て直し、九重の花が十陽に咲くので、三千世界の統一が成就する。とい う事ですが、立て替 え・立て直しの総指揮官、日之出の神と共通する感があります。

 何か特異な性質を持つ日之出の神ですが、聖書の黙示録に登場する日の出の天使も又、それまでに登場し様々な災いを人間にもたらす天使達とは違う特 異性を持っています。
 日月神示にも「金で世をおさめ、金で潰す仕組み」という一節がありますが、これは象徴的・暗示的に捉えれば、一度は物質至上主義で発 展した様に見えて、その物質至上主義で自滅するまで世が進むが、最後は七重、八重といったこれまでの宗教ではない、新しい道(十重)が誕生する。という意 味にも受け取れます。

金毘羅宮の意外な系脈

 矢野祐太郎氏の研究では、四弾目の日之出の神は、像頭山金毘羅大権現に居られる『日之出生魂大神』であるとしています。
 金毘羅宮に日之出神の神霊を祀ってあるとは、自分は聞いた事が無いのですが、全国の『金刀比羅神社』では、殆どが金山彦という神霊を祀っています。
(主祭神十九社、配祀二九社、境内神四百十九社)
 最も有名な金毘羅神社の総本山といえば、四国のそれですが、この神社の祭神は『大物主』です。

 大物主といえば、前述したように『鬼の王権・聖徳太子の謎』/関祐二著:日本文芸社)で考察されたように、裏の祭祀神です。
 また、能義群広瀬町の大歳神社・境内社の金刀比羅神社の祭神は、大物主神/金山彦尊 邑智群大和村小尾山の八幡宮・境内社の祭神は、大物主神/大年神 邑智群川本町の金刀比羅神社の祭神は、大歳神・金山彦神香川県琴平町の金刀比羅宮の祭神は、大物主神 という様に、大物主・大歳神・金山彦神の三神の何れかが、共に祀られています。

 以前検証したように、大歳神=ニギハヤヒの可能性が強いのですが、金山彦神という、余り聞きなれない名前の神名とは、どういう関係になっているの でしょうか?
 金山彦神とは、鉄の神様として知られているようですが、岐阜県各務原市にある、村国真墨田神社(南宮様と呼ばれている)の祭神は、天火明命/金山彦命/ 村国男依命/石凝度売命、となっていますので、金山彦神とニギハヤヒ神は、非常に近い関係にある事が判ります。

 ちなみに、石凝度売命(石凝姥[いしこりどめ])は、奈良県田原本町の鏡作坐天照御魂神社の、天照 国照火明命(ニギハヤヒ命)と共に祀られています。
 岐阜県武儀町の南宮神社の祭神は、金山彦・天火明命となっています。更に岡山県津山市の中山神社には、主祭神が鏡作神、相殿が石凝姥命で、社伝には 「一に中山大明神または南宮と称せられる・・・金山彦命を祀る」となっています。

 主祭神の鏡作神は金山彦命だったという事になるのですが、鏡作神は鏡作坐天照御魂神社の主祭神、天火明命(ニギハヤヒ命)であり、ニギハヤヒ命= 金山彦という事に成ってしまいます。
 という事は、全国の金刀比羅神社に祀られる神は、ニギハヤヒ(金山彦命)命という事になります。出雲神でもあり、金刀比羅神社にも見受けられる大物主神 も、ニギハヤヒの別称ではないかと考えています。

 矢野祐太郎氏が神示を受けて鎮奉した、像頭山金毘羅大権現に居られる『日之出生魂大神』は、奇しくも何かしら真実味がある事が判って来ました。
 また一方で、王仁三郎氏が辻天水氏に書いて渡したと言う短冊に ある名も、金山彦神であります。一方の金山姫とは、もしかすれば妻神、或いは龍宮乙姫の別称かも知れません。


神話から見た皇道大本

 王仁三郎氏自身の著作の中で、直女史との出会いの部分などは、神代の型が出来ていると書いています。ということは、やはり色々の矛盾した部分も、それぞ れの神代かこれからの世か、何らかの型として考えた方が良さそうです。
 直女史は先走りの御用として、水行などの荒行をしたり、脅し的な部分を含んだり、つまりそれまでの宗教などにあったドグマ的部分を残している様に思いま す。

 また、どうしても直女史の熱烈な信者なども、国粋主義的面が見受けられるのです。それは、現代的な観点からはちょっと信じ難いくらいで、「お筆さ き原理主義」と言ってよいくらいです。
 王仁三郎氏がお筆先に漢字を充てる事自体に「外国(漢字は中国から来た為)の悪神が憑いている」と騒いだくらいです。

 王仁三郎氏自信も一見して日本人が如何に素晴らしいかを説き、国粋主義者的に見えますが、当時の時代情勢から考えると、余計なことは表現し難い面 もあったでしょう。
 しかし、人間や動植物など総てを指して『万類』という語句を用いた様ですが、彼の歌からも、その精神が伺える所があります。

出口王仁三郎

…世界中神なき国はなし。太陽の光の届くかぎりは神あらざるはな し。また西洋人と は家色こそかわれ、表面の色こそ異なれ、おなじ天帝の分霊である… 天帝が人種を世界に降ろし給うや、黄色い人種もあり、黒き人種もあり、赤銅色の人種もあれども、天帝の慈しみを垂れ給うことにおいては、分けへだてなし。 みな同じ神の子…

-『道のしおり』(明治37年)-

 また、型という面からは、火水の戦いの時なども直女史は「アマテラス」王仁三郎氏は「スサノオノミコト」の役として、互いに激しく戦ったという事 ですが、前述のように、アマテラスは大日霊女命(おおひるめむち)正式名称を撞賢木厳御魂天疎向津 比売(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)命と呼び、卑弥呼で あった可能性があるのですが、アマテラスを皇祖とする日本書紀(神代第七段)にも「天照大神の、方(みざかり)に神衣を織りつつ、斎服殿(いみはたどの)に居しま すを見て」という天照大神が神衣を織っていたという記述がありますが、これは典型的 な巫女の仕草であった様です。

 又この機織りをする巫女は、日本書紀の神話などでは、水辺で尊い人(神)を待つという共通した神 話が見受けられる様です(抹殺された古代王権の秘密/関祐二著:日本文芸社)
 どうも、直女史のお筆先に顕れた「この神をさばけるお方は東から来る ぞよ。その者が来れば、ウシトラの金神の道はひらけるぞよ」という筆を信じて、ずっとその人(王仁三郎氏)が来るのを待ち焦がれていたとい うエピソードを彷彿とさせるではないかと思います。

 更にいえば、大本の発祥の地「綾部」と「亀岡」のある丹波の国は、古代には「田庭」と呼ばれ、更に古代に「丹(に)の海」と呼ばれていた様です。 それは赤々とした湖面が果てしなく広がって居たためによる様で、この湖水を国津神の指導者大国主が、現在の保津川に引き込んで干拓してから、田庭と呼ばれ る様になり、さらに丹波となった伝承があるそうです。

 そして、民俗学者の折口信夫氏は、古代天皇の后となるには二つの家系出身の女性に限られていた事を明らかにしました。その家系とは天皇家出身の女性と丹波地方出身の丹比氏(たじひ)出身の女性で、天皇家出身の女性は天皇と神とを仲立ちする高位 の巫女であ るのに大して、丹比氏出身の女性は、水の神の資格で天皇の禊ぎに奉仕する聖女であっ た様です。
 その丹比氏は新撰姓氏録によると天火明命を祖と仰 ぎ、石作氏と同祖同族であるようで、実に因縁めいたものを感じます。

 また王仁三郎氏の出生地も「鬼退治」伝説の発祥の地と言われ、この伝承も「大和朝 廷建国の際の東征」の際に朝敵となった出雲系豪族などが、鬼と転化された伝承と推測されています。
 それにしても、かなり複雑な要素をはらんでいる気がしますが、どうも日本における西と東の戦い=大和朝廷と、鬼にされた朝敵出雲系豪族との争いを彷彿と させるのです。

 また東武東征(大和建国)や明治維新、という天皇(大王)が西から東に移った際、天皇と匹敵する勢力(明治維新の際は徳川幕府)が、天皇家に無条 件に禅譲しているという、不思議な共通点があります。(同:抹殺された古代王権の秘密/関祐二著:日本文芸社)
 伊勢神宮の内宮ではなく、外宮に奉られているのが豊受大神で、外宮禰宜を務める度会(わたらい)氏は、豊受大神を国常立尊と推測しています。しかも豊受 大神とは伊勢神宮に遷座する以前には、丹波・丹後地方に祀られていた(元伊勢)ので す。(日月神示外伝/中矢伸一著:徳間書店刊)

 一方、世界から見た型としては、東北に当たる日本、未申の金神とは世界から見て、エルサレムを象徴している様です。そして、筆先にも「是でも時節が近寄りたから、心から発根と改心致して、男子と女子とか揃うて大本 の中で勇んで御用が出来出すから、直よ、もう暫くの辛抱であるから、ここを凌いで下されたら、後は誠に結構であるぞよ」という事が書いてあ ります。
 実は日月神示には、岩戸を開くカギとして「イシヤと提携する事である」という事が書いてあるのです。(神示と預言にて後述)

王仁三郎氏も「世界の混乱を収拾させるには、ユダヤ と日本との握手提携による」という事を語っている様です。  つまりこれら二人の葛藤とは、三段の型として、日本においては大和朝廷vs出雲系、世界においてはユダヤと日本との互いの葛藤(体主霊従と霊主体従の葛 藤)から、ついには提携に至る、一種の型を双方が知らずに行っていた可能性があるのです。


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