言霊とフトマニ

言霊(ことだま)について

 聖書に曰く「初めに言葉あり、言は神と共にあり、言は神なりき」この冒頭の 文は興味深く、太古の人々が異口同音に「言葉=神」と考え、仮名の一音一音にそれぞれの神が宿ると考えていた思想と、近い物があると思えます。
 しかし、普通我々が『言霊』に関しての一般的な概念として、「悪い言を言えば悪くなって行き、良い事を言えば良くなって行く」と、大よそこういった認識 ではないかと思います(決して間違っているとは思いませんが)

 しかし聖書にこういった記述がある為か分かりませんが、西洋のスピリチュアリズムの世界にも若干ながら、似た記述が見受けられます。

ベールの彼方の生活

・吾々招待にあずかった者が全員集合すると、主のお供をしてきた 天使群が声高らかに賛美の聖歌を合唱し、吾々もそれに加わりました。貴殿はその聖歌の趣旨を知りたがってお られる。それはおよそ次のようなものでした。
 「初めに実在があり、その実在から神が生まれた。神が思惟し、その心からこ とばが生まれた。ことばが遠く行き渡り、それに伴って神も行き渡った。神はこ とばの 命にして、その生命がことばを経 て形態を持つに至った。
 そこに人間の本質が誕生し、それが無窮の時を閲して神の心による創造物となった。更にことばがそれに天使の心と人間の形態を与えた。顕現のキリストはこ の上なく尊い。こ とばを経て神より出て来るものだからである。そして神の意図を宣言し、その生命がキリストを経て家族としての天使と人間に注がれる。
 これがまさしくキリストによるこ とばを通しての天使ならびに人間における神の顕現である。神の身体に他ならない。こ とばが神の意志と意図を語った時に虚空 が物質に近い性質を帯び、それより物質が生じた。そして神より届けられる光をことばを通して反射した。

 ことばが神の意志と意図を語った時に物質に近い性質を帯びて、それより物質が誕生した…
 これでは意味が分かりませんが、本来はギリシャ語のロゴス(宇宙を支配する原理と いった意味)が「The Word」として訳されたものの様です。

 つまり根本的に日本の言霊信仰とは異なっている様ですが、Wikipediaでは

 「言霊(ことだま)とは、一般的には日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと。言魂とも書 く。
 清音の言霊(ことたま)は、森羅万象がそれによって成り立っているとされる五 十音のコトタマの法則のこと。
 その法則についての学問を言霊学という。」

 となっています。純粋に「言葉」という単語の解釈を省くと、聖書の記述と言霊の概念としては良く似ていることが分かります。

ホツマツタヱと言霊

 秀真伝は、古事記・日本書紀のプロトだと言われており、実際にも同じ様な神話(イザナギ・イザナミ神の神産み)が記されて有ります。しかし、プロ トタイプと言うと未だ未完成で、古事記・日本書紀で加筆・訂正されたという印象がありますが、実際には『おしで』で書かれた世界の方が完成度は高い様で す。漢字に 直す際に少々無理があったと考えられます。 

 秀真伝にも、上記と同様の神産みの話しとして「いざなみのみこと」と「いざなきのみこと」が「あめみの柱」を廻って「ことば」を掛け合いながら、神産み をするというものが有ります。

あめみの柱を「いざなみのみこと」が、先に左に廻り「いざなきのみこと」が続いて右に廻り、お互いが出会ったところで

いざなみのみことなにえや、ゑおとこ」

(な んて良いことでしょう、良い男)

いざなきのみことなうれし、ゑおとめ」

(わあ嬉しい、良い女)

 と言いながら最初に産まれた神(淡島)は、グニャグニャとした、人とも何とも形容できない神が誕生してしまうのです。そこで二神は「フトマニ」に 照らし合わし、自らの間違いに気が付き、再度神産みをやり直すのです。

 (歌の冒頭がそれぞれ「あ」と「わ」になっているのは、天地(あわ)の歌に対応させているのかもしれません。)
 今度は「いざなきのみこと」が先に左に廻り、次に「いざなみのみこと」が右に廻り

いざなきのみこと「あなにゑや、うましおとめにあいき」

(ああなんて良いことか、良 い乙女に出会った)

いざなみのみこ と「わなにやし、うましおとこにあいき」

(わなんて嬉しい、良い男に 逢った)

 と「ことば」を掛け合い、そして二神はそれぞれに、23の歌を歌いながらあめみの柱を廻るのです。この歌には、実際には『あわの歌』という46音の歌を 二神がそれぞれ、半分づつ歌う訳です。

 ちなみに、あわの歌は「アカハナマ、イキヒニウミク、フヌム エケ、ヘネメオコホノ、モト ロソヨ、ヲテレセヱツル、スユンチリ、シヰタラサヤワ」というもので、いざなき神が左 から右へ23音、いざなみ神が右から左へ23音歌う訳 です。

ホツマツタヱの神産み神話は、DNAの染色体構造を現わす!?

あわの歌を並べ替えたもの
-松本善之助氏による
   

 このアワの歌も、言霊として重要なものとされていますが、前述した通り、あ(あ)は天を、わ(わ) は地を現わすので、天(上)から下へ23本の左回りの染色体と、地(下)から上に23本の右回りの染色体との掛け合わせ、46の染色体(二重螺(らせん) 旋構造)のDNA構造で、生命の誕生を現わすと言う説があります。

 実際に、最初に二神が失敗した様に、左回りの遺伝子の事をZ型DNAと呼び、これではグニャグニャと して、奇麗な螺旋構造を維持できなく、生命も誕生できないのです。さらに、秀真伝では、一貫して五七調のの和歌の形式を採っていますが、こ の5音と7音と合わせた12音という数は、DNAの染色体構造と同じなのです。

 しかし、現代科学で男女の23の染色体を重ね合わし、二重螺旋構造のDNAが、46本の染色体数であると発見されたのは、1956年にスエーデン のチョ ウ博士と、レバーン博士の実験法の確率によって成されたのですから、西暦126年に編纂と言われるホツマツタヱで既に語られているのは、当然有り得ない事 で す。

 これは偶然なのか、或いは何かしらの方法で、生命誕生の秘密を上古人は知っていたのか、または違う何かの意味があるのか、それは定かではありま せん。
 ちなみにDNAの持つ螺旋構造というのが、人間で言えば人体の末端の、足や手の指先の指紋に、或いは頭のつむじにと現れて来るそうです。
 DNAと指紋で は、確かに螺旋状と言う意味では相似系をしていますが、その大きさや形自体には、似てはいるが細部までソックリという訳では有りません。
 雛型経綸も、始めは一部の小さな出来事が、大きく伝播している様と似ています。

ホツマツタヱとフトマニ

futomani 右図は、ホツマツタヱに描かれたフトマニの図です。もちろん、元は神代文字にて記されているのですが、分かりやすく平仮名で書いてあります。

 このフトマニの図では、中央に『あうわ』があり、その周囲に八神名『とほかみえひため』が周囲を巻いています。実はこのフトマニ図の図象は原子の特徴を 現わしていると言う説があります。 先ず、フトマニ図中央の『あうわ』ですが、原典ではオシデと呼ばれる神代文字で記されていますが、それぞれ「あ=a」「う=u」「わ=wa」となってい ます。

 原子は中央に原子核(陽子と中性子からなる)があり、その周囲に電子が取り囲むという三つの要素から成り立ち、陽子は+の電荷を持ち、電子は-の 電荷を 持ちながら、自転をしつつ原子核を周っていますが、原子が安定するには、その回転方向と逆の回転をする電子とが、ペアになり軌道に乗る事が必要となりま す。

 つまり、原子の世界でも、陰陽のペアがあって安定するのであり、その陰陽の電子の状態(右回転と左回転)をとで表現しているのではないかという訳です。  これは平仮名で言えば「あ」と「わ」になりますが、秀真伝では「あ=天」「わ=地」としていて、やはり陰陽の考えがあったとも受け取れます。
 また電子が最高で8つ迄入る事が出来、その状態が最も原子の安定した状態です。
 フトマニ図でも、中央の円の周囲に『とほかみえひため』八神が並ぶという のも、それを現わしていると考えられています。

フトマニと原子の周期率

フトマニ図(円の一端を切り話して長方形に延ばしたもの)
1 2 3 4 5 6 7 8 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)


原子の周期率
1 2 3 4 5 6 7 8 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
H n He
Li Be
B C N O F Ne
Na Mg
AI Si P S CI Ar
K Ca Se Ti V Cr Mn FeCoNi Cu Zn Ga Ge As Se Br Kr
Rb Sr Y Zr Nb Mo Te RuRhPd Ag Cd In Sn Sb Te I Xe

 上記表は、円形のフトマニ図の一端を切り、長方形に延ばしたもので、この状態で原子の周期率表と同じ様に納まる事が分かります。
 しかも、原子の周期率 を現わす場合は、むしろ円形フトマニ図の方が理想的で有るようです。
 しかし、本当にフトマニ図が原子の様子を表現しているのか、単なる偶然か?という点に於いては、総てのものは相似系を成しているという点で極限られた原 子を現わしているだけでは無いという事も考えられます。

 奇しくも、日月神示伝達者の岡本天明氏が著書の中で、古事記の神産み神話に触れて、ヒルコ=水素(H)、アハシマ=ヘリウム(He)、アハジ=リ シウム(Li)、フタナ=ベリリウム(Be)、オキ=ホウ素(B)、ツクシ=炭素(C)、イキ=窒素(N)、ツシマ=酸素(O)、サド=フルマリン (E)、アキツシマ=ネオン(Ne)・・・・と8つで一周期の終わり、というその順序と数と合わせてメ ンデレーエフの原子の周期率と殆ど同じであるとい う事を述べています。

 いずれにしても、冒頭の「ベールの彼方」で述べられている、「ことばが神の意志と意図を語った時に物質に近い性質を帯びて、それより物質が誕生し た」
 というのは、何かの比喩ではないという事でしょうか、それとも地上で一般にWordとなっている為、同じ語を用いたのかも知れませんが興味深い所です。

コトタマに関する部分の紹介

 最後に、本文の内容とは関係が無いですが、余り言霊学に凝っても仕方がないので、ことたまに関連する部分を日月神示から紹介したいと思います。

日月神示

●言(ことば)こそは誰もがもてるそのささげもの であるぞ、与へても与へても無くならんマコトの宝であるぞ。

●人ほめるものと思へ、言霊幸はふぞ、それが人の言葉ぞ、わるき言葉は言ってはならんぞ、言葉はよき事のために神が与へているのだから忘れん様にな

●神は言葉ぞ、言葉とはマコトぞ、いぶきぞ、道ぞ、マコトとはまつり合はした息吹ぞ、言葉で天地にごるぞ、言葉で天地澄むぞ、戦なくなるぞ、神の国になる ぞ、言葉ほど結構な怖いものはないぞ。

●口先ばかりでよいことを申すと悪くなるのぢゃ。心と行が伴わねばならん。判り切ったこの道理が行はれないのは、そなたをとり巻く霊の世界に幽界の力が強 いからぢゃ。そなたの心の大半を幽界的なもので占めてゐるからぞ。そなたのもつ悪い癖を治して下されよ。そのくせ治すことが御神行ぞ。

●天人の言葉はマコトであるから、只一言で万語を伝へ得るぞ。言葉の生命は愛であり、真であるから、真愛から発しない言葉はマコトの言葉でないぞ。子音と 母音と組み組みて父(ふ)音の気を入れて始めて言葉となるのぢゃ。今の人民のは言葉でないぞ、日本の古語がマコトの言葉ぞ、言霊ぞ、数霊と倶に弥栄ゆく仕 組み。



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