何でこの項でそんな話しが出るのかと言えば、以下の様な一節が、日月神示に見られるからです。
大本神諭 |
●この日本は神国の世であるから、肉食(にくじき)な
どは成らぬ国を、余り汚して、神はこの世に居れんように成りたぞよ。世界の人民よ、改心致されよ。元の昔に戻すぞよ。ビックリ箱が開くぞよ。 |
伊都能売神諭 |
●今の日本の人民は皆外国人の真似を致して、牛馬の肉を喰い、猪 鹿犬猫何でも構はず、四ツ足と見たら共食い致すやうになり、たまたま慎みて四足獣を喰はぬ人 民があれば、時勢後れの馬鹿と申して嘲笑(わら)ふやうに成りて了ふて、此の神州清潔(きよらか)の国土(くに)も、神聖至浄(きよらか)の神民も皆汚れ て了ふて、今日の国家(くに)の状態(ありさま)、神の住居(すまい)を致すべき場所が、地の上には錐(キリ)一本立つ場も無き所まで曇りて了ふて居るぞ よ。 |
日月神示 |
●四ツ足を食ってはならん。共食いとなるぞ。草木から動物生まれ
ると申してあろう。臣民の食べ物は、五穀野菜の類であるぞ」 |
かつての日本では確かに肉食禁止令が出されていました。日本書記に「庚 寅詔諸國曰 自今以後 制諸漁獵者 莫造檻 及施機槍等類 亦四月朔以後 九月三十日以前 莫置比滿沙伎理梁 且莫食牛 馬 犬 猿 鶏之肉 以外不在禁例 若有犯者罪之」という、毎年4月~9月(農耕期間)までという限定されたものでしたが、肉食が禁じられ、それより1200年 間続いていきました。
これは期間が限定されたものでもあり、又全く食する事が無かった訳ではないものの、そういった習慣が殆ど無いことから、明治期に誕生した牛鍋屋等 の軒 先でも、匂いだけで気持ちが悪くなった等のエピソードがあるようです。
しかし、開国後特に戦後に至っては、急速に日本人の食生活は変わっていきました。意識の上でも、肉食はスタミナ料理という認識が行き渡っていま
す。果たして、何故神示では禁じているのでしょうか?
出口王仁三郎 |
・獣肉を食べて悪いといふ事は無いけれど、神様は獣肉はお嫌いだ
で、食べると神様に嫌われる。 -『三鏡(水・月・玉鏡)』-
・教祖の神諭にも、日本は清らかな神の血筋の人民の住居(すま ゐ)を致す神国であるから、五穀魚類野菜さへ喰て居さへすれば、身体も壮健(たつしや)になり、悪い病神(やまひがみ)なぞに犯される事もなく、誠の日本 魂(やま とだましい)の人間になれるのであるぞよ。と、示されて在る所以であります。これに反して猛獣のように、肉食ばかりをして居る外国人は、血液が常に濁り、 かつ又猛獣の如き無慈悲な精神に化して了ふのである。今日の日本人といへども、常に四足(よつあし)ものを食ふ人々は、実に利己主義で無慈悲で、人を倒し てでも自分の名利栄達を図る事ばかりに熱中するやうに成つて来たのは、肉食の関係から来たものであらうと思ふ。 -『神霊界』-
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シルバーバーチの霊訓 |
・もし皆さんの魂が進歩していれば、またもし皆さんが、神の被造 物の弱 いものを食べることは間違いだという事を知っていれば、いけないと知りつつ犯した罰を受ける事になる。もし、魂が未発達ならば、肉食を誤りと気付かないか ら罰は受けない。常に知っている事に関しては、代価を払わないといけない。その代価 とは責任である。 |
ホワイトイーグルの霊訓 |
・肉食はよろしくない、動物は殺されるとき恐怖心を持つ、
従ってその血や肉を食べると恐怖心と粗雑な波長が人に伝えられる。 |
上記は主だったものの中から引用したものですが、全体を通じて見れば、食物に関する様な記述はそう多くはありません。またアラン・カーデックの 『霊の書』と呼ばれるものの中には、滋養になるとして特に否定する記述が無く、この部分では他のものと矛盾しています。
自分なりに実験したところでは、先ず体が軽くなったという実感があり(現実に体重が落ちた)、一番顕著だったのは体力的に、殊に持続力が伸びたと いう点です。これは恐らく、誰でも経験できることだと思いますので、動物性タンパクが無くては栄養が偏る、と考えて居る人は一時期の間試してみては如何で しょうか?
牛肉等には、満足ホルモンのドーパミンを分泌する、特殊な物質が含まれている様です。何故わざわざそんな物質が存在するのか分からないですが、そ
のた
めに肉が止められない人達も多く存在します。
ちなみにパチンコ等も、フィーバーした瞬間は、多量のドーパミンが分泌されるそうで、この様な一種の中毒症状は、最終的にはドーパミン中毒と言っても良
さそうです。
スピリチュアリズム的に考えると、肉体と魂を結ぶ半霊・半物質と言えるような成分の中には、波長の低いものもあり、その為に人間は様々な誘惑に惑
わされやすい様ですが、その反面地上に繋げとめておく、という重要な役割も果たしている様で、肉食に関しても一応はそういった意味があるのかも知れませ
ん。
実はこうした肉食忌みの文献は案外存在します。先ずは、ホツマツタヱの中からみてみます。
血穢れ故に | 血の穢れ故に |
魂の緒も、乱れて元に | 魂の緒も、乱れてしまい、元に |
環らねば、魂しゐ迷ひ | 戻らなければ、魂も迷い |
苦しみて、獣の種を | 苦しんで、獣の種を |
相求む、鳥も獣も | 求め合います。鳥も獣も |
月日無し、ゾロは月日の | 月日の霊気を持っていません、ゾロ(苗・畑)は月日の |
ウル・ナミぞ、故に応ふる | 月霊・日霊を持っています。故にそれに応える |
人はもと、中心心葉 | 人の中心心葉(なかごこころば)は |
日月なり、直ぐにまかれば | 日月の霊気を受けています。そういう人が死んだら |
天日応え、天の宮居に | 天日(あひ)が応えてくれて、天の宮居に |
環さんと、獣になるを | 復帰させようとして、獣になるのを |
留むなり | とどめるのです。 |
ホツマツタヱの時代から、魂が元居た場所に戻るという思想があった様です。天の宮居というのが、それを指している様ですが、他にも寒さに耐えかね鳥など を食した場合には、カブや大根を沢山食べなさい、といった箇所があります。
どうも全体を通じると「往来(ゆきき)の道」というのを説いている様で、前述の「天の宮 居」に帰れる道でもあり、「世に還る時、直ぐなれば、ま た良く生まれ」と(往来とある通りに)この世に正しく転生するという道でもあるようです、。
水野南北という江戸中期の観相学を修めた人物が居ますが、彼の著作物の一つ「法相修身禄」には以下の様な内容 がみられます。
・食事量の多少によって、人間の貧富や寿命や未来の運命を予知することができる。
古人の言葉に「天に禄なき人は生じず、地に根なき草は生えず」ということばがあるが、
その身ほどによって天より与えられた一定の食事量がある。 ・大いに成功・発展の相があっても、怠け者でずるく、
酒肉をたのしみ、自分の本業に精を出さない者には成功・発展はない。 |
日月神示と相通ずるものがあるのがあります。日月神示自体も「食物、 食べ過ぎるから病になるのぢゃ。不運となるのぢゃ。腹十分食べてはこぼれる、運 はつまってひらけん。この判りきったこと、何故に判らんのぢゃ。ツキモノがたらふく食べていることに気づかんのか。食物節すればツキモノ改心するぞ。先ず 百日めあてに、百日過ぎたら一年、三年つづけたら開運間違いなし。病もなくなってうれしうれしとなるぞ。」という箇所があります。
冒頭で紹介しただけでは、神示とはかなりストイックな内容だと思われるかも知れませんが、神頼みのやおかげ、病気治しの様な外的要因が無いだけ
で、自助努力的なものであれば、食や気(念)に関して(※こちらの方の分量が多い:後述)のものなど意外にあります。
意外(?)なことに、聖書にも野菜に滋養があり、肉食よりも優れていると受け取れる箇所があります。
・宦官(かんかん)の長はダニエルに言った。「わ
が主なる王は、あなたがたの食べ物と飲み物を定められたので、私はあなたがたの健康の
状態が、同年輩の若者達よりも悪いと、王が見られる事を恐れるのです。そうすれば、あなたがたの為に、私の首(こうべ)が、王の前に危うくなるでしょう」 -『ダニエル書』-
|
上記は旧約聖書のダニエル書と呼ばれるものです。ちなみに、正式な聖典から外された「ダニエル外伝」というものもあるようです。ともかく、洋の東西を問 わずに肉食をした方が滋養がある、体が大きくなるという価値観があるようです。(体が大きくなるという点では、正解である可能性がありますが、滋養の点で は後述する様々な要因から、一概にその通りと言えない所があります)
これは科学的な意味では色々と説明出来るものの、実際に人間は肉類を食べる事が可能です。
それで「食べられるモノは、何でも好き嫌いせずに食べた方が良い」という考えが出るのももっともな話しです。
或いは、「植物も生命なんだから、動物を殺して食べるのも、植物を刈り取って食べるのも、命を頂くという意味では同じではないか」という考えもよく聞く
話です。
日月神示 |
●草木は身を動物虫けらに捧げるのが嬉しいのであ るぞ。種は残して育ててやらねばならんのざぞ。草木の身が動物虫けらの御身となるのざぞ。出世するから嬉しいのざぞ。 |
確かに、花などは蜜を出して蜂を誘い、その蜂のおかげで種族を増やす事が出来ます。柿やリンゴも実がなれば、色豊かに染まり、目立つ存在となります。
それを鳥や動物が食べる事で、種をばら蒔き、種族を増やすのです。
果たして、草木が出世するからと嬉しがっているか知りませんが、確かに自ら動けない植物は、他の動物に食べてもらう事によって、自己の種族の繁栄
に役立てているのです。
また痛覚の問題もあるでしょう。植物類には痛覚は無いので、摂取しても痛みは無いですから、動物とは訳が違うと思うので、上記の考え方は間違っていると
思います。
スピリチュアリズム的に考察すると、波長に関する事で言えば、恐らく動物が抱いた恐怖等が移るという事や、低い波長が取り入れられてしまう、とい
う事はあっても、それが決定打になること迄は無いと感じます。
何故なら、食事とは物質的な事柄(問題の中身は霊的ですが)なので、進歩の阻害要因にはなっても、思い・思想の方が影響度は強いと思えるからです。
いずれにしても、どちらも日々のことなので、長らく続ければそれだけ影響も強くなって来ることは考えられます。
また様々な神示・霊訓の類を見ても、どうやら世の中の事は霊界の様相に似せた方が良いらしいと気づきます。
食事に関しても、本来は食べるという事は無いようですが、まだ地上を去って程ない場合には、食べる事があるようですが、そこに動物性のものは一切無いよ
うです。
神典アナリストの中矢伸一氏の調査によれば、こういった動物を飼う為に使われる穀物類を、人間が食する為に利用すれば、現在のアフリカの難民等、 飢 餓常態にある国の人達にも総て分配でき、一気に食料問題が解決するそうです。
牛肉1キロ分を養うのに必要な穀物は10~11キロもあり、牛一頭育てるのに必要な水は潜水艦が一隻浮かぶほどの水量になるようです。
東京大学生産技術研究所の沖 大幹教授グループは、日本が輸入した食料を生産するために投入された水を「仮想(投入)水」と呼んでいます。
教授たちの試算によると、たった一杯の牛丼で浴槽10杯に相当する水を消費するようです。(参考:グラフ)
かつて穀物の大量輸出国であった中国が、現在では逆の穀物大量輸入国になっています。その為にブラジルのジャングルが開墾され、大豆畑に変わった訳です
が、これは人間の口に入る訳ではありません。
鳥や牛、豚といった家畜の餌になるのです。何故こうなったかと言えば、中国では経済発展に伴って食糧事情が変わり、肉食がより多く消費されるようになっ
たからです。
また昨今ではよく日本の食料自給率が問題になっていますが、エネルギー効率(食料輸入の為にかかるエネルギー)の為にも地産地消(地元で取れたも のを 地元で消費する)や腹八分目が推奨されていますが、実は王仁三郎氏はかつて「天産自給」と いうのを唱えていました。
このホームページを最初に書いた約10年前では余りピンとは来なかったのですが、神示の食 べ物の騒動が激しくなる、食べないで死ぬことは無く食べて死ぬ、といった内容も含めて最近になって感じるものがあります。
近年問題になっている狂牛病や鳥インフルエンザ、口蹄疫等の問題は、餓えている人に穀物が廻らず、大量の穀物で育てた家畜が食べられなくなるの
で、総てがパーになり、日本人の食生活にも影響がありました。
食べたいものが食べられない、という人達の気持ちの100分の1くらい味わったかも知れませんが、これらは何かの警告の様にも感じます。