金銀為本制

拝金主義の世の中

 現代はとにかく、お金が無ければ何もする事が出来ません。特に都会に行くほど何も出来ず、人間が生きるのに必要な衣食住まで、金が無いと何も 満足させる事が出来ないようになっています。
 昨今でも、東京で餓死者がでた、というニュースが流れる事がありましたが、様々な要因が重なっていると思います。

 現代社会を常識として生きていると、昔はどうやって生きていたのか?不思議な気もしますが、現代でも貨幣に比重を置き過ぎず、従ってそう大き な価値を持たずに生活している国の人も居ます。

再びシオンの議定書

・非ユダヤ人に害を与える為に我々は、経済恐 慌を引き起こした。それがためには、ただ手の届く限りの、金の全部を金融界から引込めるだけで十分であった。
 かくて巨額の金額が我々の手中に貯蔵されたが、一方では非ユダヤ人国家は資金が全く枯渇したので、結局やむを得ず我々に国債の引き受けを請わざるを得な い様になり、これがため非ユダヤ人国家はこの国債で多額の利子支払いの義務を背負い込むに至った。
 これは彼らの国家経済のかなりの重荷となって、遂には国家そのものまでが大資本家に全く依存する事になってしまった。 金本位制は、これを採用した国家にとって破滅の根源であった。我々が金貨を出来るだけ金融界から引き上げてしまったので、金本 位制は、ますます諸国民の大きな貨幣制度を満足させる事が出来なくなったからである。

・優越を得んが為の極度に緊張した闘争と、経済生活に対する衝動とは、絶望的な、しかも悲惨極まる冷酷な社会を実現するであろ う。
 否、既に実現していたのである。斯くの如き社会は高等政策と宗教とを全然忌み嫌うようになり、これを指導する者 は、ただ利得打算、すなわち金力のみとなり、金力によって享受出来る物質的快 楽の為に、黄金を完全に崇拝するであろう。
 非ユダヤ人がこれに気づかぬ様にするには、彼らの心を商業と工業方面 に向けねばならぬ。かくすれば各国の非ユダヤ人等は、国家社会など眼中に無く、唯我々の利益のみを追い、利害戦に夢中 になって、自己の共同の敵に気付かなくなるだろう

-『シオンの議定書』-

 正に日本は商業・工業方面に向かい、一時は利害戦に夢中になっていた時期があります。
 これが時にはトラブルを発生させますが、それは個人であっても国家であっても同じです。
 それにしても、シオンの議定書は出所不明で、作者が分からないとされていますが、1900年頃に表に出たのは確かなことであり、いずれにせよ人智を超え たものを感じさせます。(誰が書いたか?ではなく、中身自体を重要視した場合)

 政治・宗教面では、バラマキと言われ、よく批判の対象になる政策ですが、現実問題として”今”を何とかして欲しいという要望が強く、「子供達に負 担を残さない」 と言 いつつ将来実現出来る様な制度設計は先延ばしになる傾向にあります。
 宗教も又おかげ信仰的な所には人が集まりますが、冒頭で紹介した通りスピリチュアリズムと呼ばれる様な事柄には人は滅多に関心を示しません。

 いずれにしても、自己の利益に直結しそうな事柄以外には、余り関心を示さない事が多いのです。
 ただこれは国家というレベルだけではなく、個人にも言えますが、これは少し考えてみれば分かりますが、大局的に見てむしろ不利益になる事が多いのです。

 カルマ(業)というのは、プラス面にもマイナスにも、自己の行った事が自分に返ってくるという思想ですが、日本はかつて、安価な衣類等の第二次産 業から始まり、安く性能の良い工業製品で市場を席巻しました。
 時にエコノミック・アニマルと批判されることもありましたが、バブル期には美術品やアメリカの企業買収等を行ってきたのです。

 現代は、輸入される韓国・中国製品が、始めは安い衣類・雑貨程度と思っていたら、いつの間にか市場にあふれ出し、次第に電化製品・自動車産業の品 質が上がり、世界を席巻し始めました。また値段の安さにも苦しめられています。
 更には、日本企業が買い叩かれる。と騒がれ出しました。しかし、これらは実はかつての日本と似た姿です。

 ちなみに、戦時中に関しては、朝鮮半島を併合しましたが、これはロシア・中国をけん制する為で、その為には朝鮮半島を発展させる必要もあり、同化 政策を取りました。そこでインフラ整備などが行われたのです。

 戦後の日本は、アメリカの植民地の様な姿で、また日本という国家自体が、アメリカにとって、戦略的にロシア・中国をけん制する絶好の位置にあり、 更には資本主義・自由主義連合の一員として、経済発展させる必要もあり、経済的には助けられた時期もあったのです。
 どちらも、過去の日本が行っていたことと似た様な体験を自らする事となりました。

 話は変わって、よく明治維新の頃の幕末の志士と呼ばれる様な人物と、現代人とを比較して、どうして昔は人として大きな人物が多かったか、現代人は 何故せせこ まし くなってしまったか、というような話を聞きます。

 それは、危急存亡の時代であると同時に、自分というものを捨てていた為だと思われます。
 正に神示にあるような状態で、自分を捨てて天下国家の事を中心に据えていた為、短視眼的に自分の利益につながる方へと、進む必要性が無かった為に、大 局的に物事が見れたのでしょう。

外国で活動していた?日の出神

 大本神書の多くは、金本位制に関しては批判的で、王仁三郎氏も時に「金銀為本制」と表現していました。要するに、シオンの議定書と正反対と 思って いただければ良いのではと思います。
 しかし日本の古代史の所で述べたように、矢野祐太郎氏の研究 では「日之出神」の働 きの一つには、ユダヤ民族を霊的に支配していた、というのが有ります。

 これは確認しようが無いので分かりませんが、一方では霊主体従を基本理念に置く神示が出現したかと思えば、また一方では体主霊従的な支配を 行って いるという事になりま す。
 日月神示には、それと採れる部分も、存在します。

日月神示

●金では治まらん。悪神の悪では治まらん。ここまで申してもまだ 判らんか。金では治まらん。悪の総大将もそのことを知っていて、金で 世を潰す計画ざぞ、判っている守護神殿早よう改心結構ぞ。

●金で世を治めて、金で潰して、地固めしてミロクの世と致すのぢゃ。三千世界の事であるから、ちと早し遅しはあるぞ。少し遅れると人間は、神示は嘘ぢゃと 申すが、百年も続けて嘘は伝えんぞ、申さんぞ。

 上記の日月神示にあるように、やはり矛盾を内包しています。一方では、悪神の総大将が金で世を潰す計画だと警告している訳ですが、片や金で潰 して 地固めしてミロクの世にする、と語っています。
 これは前述した様にシオンの議定書にも又違和感があります。わざわざ、答えと言えるものを述べているからです。

 本当に本気の陰謀書(?)であれば、そんな事を書くだろうか?と思いますので、真相は本当に闇の中かも知れませんが、愈々何が善で何が悪か分 かり 難くなってきます。

王仁三郎氏の説く皇道経済

 王仁三郎氏は、金銀本位制については「国家の競争・興亡、戦争の動機、産業の競争、人 心の 腐敗、諸他の罪悪は黄金の獲得欲望が原因であり、限りある財貨 で、限りない欲望を満足させようとするが故に、無限の罪を醸成する様になる」という意の事を述べています。

 なるほどと思います。財貨はやはり限られています。限られなければ、その価値も失してしまうからです。
 そして人間には無限の欲望が有ります。その欲望 も、違う方面に向ければ良いものの、ひとたび金貨獲得に向いたなら、これでもう良いという限度が無い程、欲しがるようになります。

 さて、同氏は「皇道 経済」という当時流行語になった、高度経済成長をもじったシステムを提唱していました。

出口王仁三郎

・今日の経済学者、爲政者は、総て外国の精神で 頭が一杯になってゐるから、今の金銀爲本のやりかたより他に方法が無いと思ってゐるが、西洋も、その経済方 法を試みて行き詰まった。
 その行き詰まったやつを又日本がやってゐる。これで はどうしても行き詰まるに決まってゐる。然らば、何がこの金銀爲本の政策に代わるべきか、即ち皇道爲 本、御稜威(みいず)爲本の政策である。

-『惟神の道』-

 その皇道経済というのは、大よそ以下の様な感じの政策です。

・自給自足の経済ブロックの創立
自給自足の経済ブロックによって、その国々で自給による生活の糧の確保が出来るようになる。

・税制の廃止
それぞれの自治体によって運営され、相互に有無相通じる。 税金の廃止 税制は無くなっていく。交通機関、情報料なども無料になる。

・土地の所有権の返還
土地の所有権は、各個人が保有する事無く、各自治体に返還され、各家庭の家族構成によって、平等に分配される。

 といった所なのですが、詳しい事は王仁三郎氏自身も、今言っても本気にはされない、として具体的な事はあまり書かれては無く、あったとして も、そ の解釈 に難しい面もありまが、日月神示の中にある記述と非常に近いものがあります。

 地産地消であったり、税制を無くして、交通機関等を無料にするというものですが、税金は無いのに無料で利用できるのです。
 これは当時はおろか現代でもよく分かりませんが、単に生きるという為なら食料と水と空気があれば良い事になります。

 思い切り発想を転換すれば、農家も製造業も商店もすべてボランティアで行い、その見返りとして様々なものを交換すれば、間に紙幣が入らないだ けで 結果的には同じことになります。
 もっとも御稜威紙幣というのを唱えていましたから、紙幣そのものが無くなるというものでも無さそうですが、いずれにしても相当ドラスティックな変化で す。

 ただ、古い時代には、厳密に価格が設定されて、何事も貨幣が行きかう状態ではなく、長屋に居候する代わりに、ちょっとした修繕を行っていた り、採 れた作物を交換し合ったりという事は普通に行われていた様です。

 しかし、歴史を振り返れば明治の文明開化も、戦後の体制もそれまでと大きく様変わりして来ていますし、ただでさえ共産主義体制はおろか、資本 主義 に対する疑問も呈され始めている時代なので、未来は予想もつかない社会システムになっているかも知れず、又そうである可能性は高いでしょう。

 日本人の資質もあるかも知れませんが、文明開化も戦後ニッポンも、一旦こうだと舵を切ると、脱兎のごとく変化する可能性がありますし、シェル ドレイクの仮説ではないですが、二度あることは三度あるかも知れません。



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