神示と心理学

鏡の法則

大本神諭

●「他人(ひと)が悪い、悪い」と思うて居ると、 全部自己(われ)の事が鏡に写りているのであるから、他人が悪く見えるのは、自己に悪い処や霊魂(みた ま)に雲が掛かりて居るからであるから、鏡を見て自己の身魂から改心致さすやうに、此世の本から変性女子の霊魂が拵へてありての、今度の二度目の天の岩戸 開きであるから、一寸(ちょっと)やソットには解る様な浅い経綸(しぐみ)でないから、改心致して身魂を研くが一等であるぞよ。

 上記の大本神諭にあるように、人は他人が悪いと思い込んでいても、それは自己の悪い面を投影しているということがあります。シャドウと呼ばれるもので、 その人が持つ暗黒面に対して、本人は特に意識していなくても、内面の奥の方では拒絶している状態です。

 これは、譬え悪人と言えども、或いは表面的には特に悪いと感じていなかったとしても、内面では正確に善悪を判断しているという事にもなります。
 そして、そんな自分を拒絶してしまうのですが、それでもやはり意識上では認めたくない為に、自分と似た傾向を持つ人に対して、自己の暗黒面を投影してし まうのです。

 随分と虫のいい話の様ですが、案外こういったケースはあります。Aという人物の言動に対して、人によっては、大したことではない、と感じていて も、別の人にとって非常に不快に感じる、という事があります。
 こうした場合に、憤慨している後者の方が、普段はAという人物と同じようなことをしている、という事がよくあります。

例:
 あるAという人物が上手く世の中を立ち回り、ヌラリクラリと生活していた。彼は表面上ではまるでその事について意識はしていないか、 あるいは意識してい ても、少しも悪い事だと感じてはいない。しかし、心の底ではその事に罪悪感を感じている。
 そこに、同じようにヌラリクラリと生活している人物Bが現れた。他の人は「まぁあいつは全く世渡り上手だよ」とお世辞とも、嫌味とも取れないような事を 言っているが、それ程気にしていない様である。
 ところが、AはそのBが何故か気に入らない。非常に腹立だしく感じている。「あいつは全く、最低の人間だよ」と非常に憤慨してい る。
 しかし、それは実は、無意識下のAの自分自身が嫌いな部分を、自分自身ではなくBという似た人物に投影してしまい、嫌いな対象を他人に摩り替えてし まっていたのだ。

 こうした例は案外見受けられるもので、よく周囲を見渡すと結構なるほどな、と思う事があります。
 自己の問題点をハッキリ意識していて、その為に自己嫌悪に陥るということも良くありますが、表層意識では気付かずにほったらかしにされていて、その実心 の深い所では 嫌悪している、というものが誰しもあるのかも知れません。しかし良心というモニターは微かに信号を送っているのかも知れません。

鏡の法則2

 実は、昔似たようなサイトを作っていた時期には、上記の様な解釈をしていました。しかし、日月神示にも、同じ意味に取れるものが沢山出てきます。それは これまでにも紹介してきた、内側の自分と同じものを外から引き寄せる、というものです。

 それが一体何の関係があるかといえば、自己の持つものと似た者や出来事を引き寄せるという事は、そのまま大本神諭の解釈にもつながるからです。
 また、この法則自体は心理学的には、結構前から発見されていたものの様です。

 参考として、人生の問題を解決する魔法の知恵『鏡の法則』(←クリック)を紹介します。これは実話を元に描かれています が、詳しくはリンク先を(pdf形式で見れます)見ていただくとして、ざっと書いてみると、ある子供がいじめを受けていて、そのことに悩む家族がいまし た。
 そんな中、経営コンサルタントでもあり、心理学に詳しいBという人物と出会い、色々と相談するのですが、ここである法則を知ります。
 それが鏡の法則ですが、この相談相手の語る言葉はスピリチュアルな視点そのままと 言ってもよい所があります。

 ここで、この相談相手(Bさん)が語る言葉を箇条書きにしてみます。

・現実に起きることは一つの結果であり、結果には必ず原因がある。
・あなたの人生の現実は、あなたの心の中を映し出した鏡と思えばよい
・人生という鏡のおかげで、私たちは自分の姿に気づき、自分を変えるきっかけを得ることが出来る。
・人生はどこまでも自分を成長させるために出来ている。
・人生で起こるどんな問題も、何か大切なものを気付かせてくれるために起こる
・そのため、自分に解決できない問題は決して起こらない。
・前向きな愛のある取り組みさえすれば、後で「ああ、この問題が起きて良かった、そのおかげで…」 と言えるような恩恵をもたらす。

 心理学でここまで同じことを導き出しているのに驚きました。しかし何でもかんでもスピリチュアリズムと結びつけて、まるで他人のふんどしで相撲を 取るようですが、用語はどちらでも構わないでしょう。
 要するに法則の中身そのものの信ぴょう性が検証されれば、それで良いのです。その検証は、興味を抱いた人がそれぞれに人生上で行ってみると良い でしょう。

 そもそも、それが仮に本物であるならば、どの分野であろうと何かしらの一貫した法則性が見いだせるものだと思います。
 それがその人の立場であったり、専門性をもつ為に、人生哲学になったり心理学になったりするだけではないかと考えます。

 ともかく、普通は息子のいじめ問題自体に集中してしまう所ですが、思いもよらない解決策が提案され、半信半疑で行ったことが、まるで奇跡のように 解決してしまいます。
 実際に、他人のことに関すると、正に岡目八目で当人よりも冷静に判断したりしますが、自体が自分自身の問題であると、冷静さを欠くこともあれば、損 得感情によって揺らぐこともあったり、中々見極められなかったりします。

 これは余程客観的に、しかも神示や哲学者が述べているように、自分というものをある種捨てないと、上記の様な様々な感情によって客観的な判断を取 り難くなってしまうと思います。 

苦悩と楽しさ

 これも外部サイト(創造性のダークサイド:心理学研究)を参照してください。情報サイトなので記事が古くなると消去される可能性 がある為、ある程度の概要を書きます。コロンビア大学ビジネススクール教授のModupe Akinola氏がある実験を行いました。

 それは否定的に観るグループと、肯定的に観るグループに分け、それぞれのグループに被験者を置いて、将来つきたい職業をスピーチさせたり、コラー ジュ作品を作らせるというものです。
 すると、否定的な反応をするグループに入れられた被験者は、肯定的な反応のグループよりも創造性が増しているという結果が出ました。

 その中でもストレスホルモンの影響を緩和するDEHA-Sの数値が低い被験者は、相手の否定的な反応に影響を受けやすい反面、創造性では特に優秀 だったようです。
 また、豪ニューサウスウェールズ大学の社会心理学者Joe Forgas氏も、憂鬱な雰囲気と陽気な雰囲気という対照的な状況に置いた実験で、憂鬱で低調な雰囲 気の音楽を流した場合の方が、より記憶力が増しているという結果を得ています。

 こうした結果から、怒りや悲しみという否定的な感情は、「要求度の高い状況に最も対処しや すい情報処理戦略」を発達させるという結論を導き出しました。
 悲しみなどの感情は、集中力や注意力、粘り強さや創造性などを育む傾向があるようです。ただし、楽しさや幸福感はインスピレーションが出やすくなる傾向が20%増 すようです。

 これは体験上でも何となく分かります。気分がよくて陽気な時には注意力が散漫になりますが、その代わりに良い閃きも得やすい傾向がある様です。
 逆に悲しみや苦悩の中にある時には、注意力や集中力が増すように思います。創造性については余り実感は無いですが、粘り強さが育まれるのは、苦労した体 験の中であることは誰しも認める所でしょう。

 ジョンズ・ホプキンス大学の精神医学教授、Kay Redfield Jamison氏によると、英国の作家や芸術家の生涯を調べたところ、やはり大成した人は、一般の人に比べて、鬱病の罹患率が8倍にのぼっていたことが明らかになったようです。
 ルネッサンスペストの大 流行があったればこそ、という説が有名ですが、霊訓でも神示系でも、暗闇の先には夜明けが来る、夜明け前は闇より暗いといった意味の記述が あります。
 神経科学者Nancy Andreasen氏も自身の研究から「成功したライターは、絶え間なく打たれ続けながら、決して負けない選手たちのようだ」と語っていたそうです。

 現代はストレス社会と言われて久しいですが、鬱病患者やプチ欝という言葉も広く知られるようになって来ました。それはそれで辛いですが、ルネッサ ンス時代の様に、将来創造性豊か な芸術家が生まれたりするかも知れません。 

「他者の為に」が幸せのカギ

 Miranda Hitti WebMD Medical News (2008年3月20日)、Science3月21日号に「もっと幸せだと感じたい?それなら自分のために散財するよりも他者または慈善のためにお金を使うと、より良 い 気持ちになれる可能性があ る。」という記事が掲載されました。

 研究者らは最初に632名の米国人に、自分が全般的にどのくらい幸福かを評価し、収入と支出(請求書、他者への贈り物、自分自身への贈り物、およ び慈善のための寄付を含む)を報告するよう要請したということです。
 研究を行ったブリティッシュコロンビア大学(カナダ)心理学部門のElizabeth Dunn, PhD氏らによって判明したのは最も幸福であった人々は最も多くを与えた人であり、収入の額には関係なかったということです。

「各人がどれだけ多くの収入を得たかには関係なく、他者のためにお金を使った人々はより大きな幸福を報告したのに対して、自分自身のた めにより多くのお金を使った人々はそうではなかった」と、Dunn博士はニュースリリースで述べていいます。 

 Dunn博士のグループは、更にボストンにある会社の16名の従業員に対して、会社から賞与を受け取る1カ月前に自分がどのくらい幸福かを評価す るよう依頼し、賞与を受け取った6-8カ月後にもう一度同じことを依頼しました。
 従業員らは賞与の使い道についても報告し、賞与を受け取った後により幸福であったのは、賞与の中からより多くのお金を他者または慈善のために使った人々であり、賞与の額が多いか少ないかは重要で は無いということが判明しました。

 また人々が現金を手にし、それを日没までに使うよう命じられた時、どのような反応をするのか探る為、ブリティッシュコロンビア大学バンクーバー校 の46名の人々に5ドルまたは20ドルを渡し、現金と共にそれを午後5時までに使うようにとの指示を与えました。
 一方のグループには家賃・請求書または自分自身への贈り物のためにお金を使うよう指示し、他のグループには誰か他の人への贈り物を買うか、または慈善団 体に寄付するように指示したのです。
 現金を受け取る前とそれを使った後に行った調査によると、今回も、その日の終わりに最も幸福であったのは、他者に与えた人々であり、やはり金額は問題で はなかったようです。
 人々はより良い気分になるために20ドルを人にあげる必要はなく、5ドルでも効果があることが分かりました。

 「我々の知見は、支出の割り当ての5ドル程度のごくわずかな変化でも、ある一日をかなり幸福なものにするのに十分である可能性があることを示唆す る」とDunn博士らのグループは報告しています。
 最後に、Dunn博士のグループは、同博士が行った他の試験には参加しなかったブリティッシュコロンビア大学の学生109名に、5ドルまたは20ドルを 自分自身または他者のために使うとより幸福になるだろうと思うか質問しました。

 しかしほとんどの学生の回答は的を外れており、「参加者はお金 が幸福に及ぼす影響について二重に間違っていた」と、Dunn博士らは述べています。「大多数の人々は、自分個人のための消費によって自分はより幸福になり、5ドルよ りも20ドル使った方がより幸せになるだろうと考えていた」ということです。

 これは奇妙なことです。幸福感は時に満足感と置き換えられると思いますが、多くの人は自分の為に、できるならより多額に使った方が幸福を得られる と考えてる、ということは、その通りに実行すると満足感が得られるはずです。

 好きなだけ寿司を食べたい、ケーキを食べたい、という欲求を叶えるのと同じようなものです。これは何処か心の深奥の部分で、空虚感を感じているの でしょうか。
 それとも、別の要因があるのでしょうか、日本には余り寄付文化が根付いていませんが、豊かであるにもかかわらず、また多くの人が物質的な豊かさ=幸せと信じてここまで来たにも関わらず、幸福感に満ちた国とは言い難い、むし ろ逆行しているように感じられるのは、こうした調査結果を裏付けていると思います。

 また上記の鏡の法則に照らし合わせると、気分が良い・幸せになれる、という ことはそうした 環境をやがて呼び寄せるという結果になるのではないでしょうか?
 さらには、前述したように、楽しさや幸福感はインスピレーションの増加をもたらすことが判明していますから、よりよい閃きを得ることも多くなるでしょ う。
 それが、神示と哲学の処で紹介した哲学者達が、共通して見出したもののエッセンスのような気がします。 

マズロー博士の至高体験

 アブラハム・マズローという心理学者は、人間性心理学を提唱し、人間の健全な心に注目し、そうした人たちが体 験する、とても気分の良い状態、言葉では表せない程ハッピーで幸せな状態、神秘的・不思議な体験などに注目・研究した人物です。
 このとても気持ちがよく、ハッピーな状態というのは、前述したDunn博士らの研究と関連性があるのかも知れません。

 医者のように病気に対して研究するならともかく、健全さを研究するという着眼点も面白いですが、同氏は殆どすべての人に自己実現の要求があると し、また下層にある欲求が満たされれば次の欲求が起こってくる、基本的な欲求が満たされれば人間は増々成長し、心理的な健康を得られると考えました。以下 がその基本欲求です。

  • 「生理的欲求」・・・空気・水・食物・庇護・睡眠・性 
  • 「安全への欲求」・・安全・安定・依存・保護・秩序への欲求
  • 「所属と愛の欲求」・愛されること、家族の中に居場所があり自分が愛されること
  • 「承認欲求」・・・・自尊心・尊敬されることへの欲求
  • 「自己実現」・・・・自分がなりたいのもへの欲求
  • 「自己超越」・・・・今までの、あるいは現状の自分自身を超えたいという欲求

 今現状の日本をみると、生理的、安全への欲求というのは高度に満たされています。所属と愛の欲求…この辺りで踏みとどまっている感じがしますが、国に よっては、最低限の欲求さえままならない国もあります。
 マズロー博士は自己実現してる人物たちを「至高経験者」と呼びますが、こうした自己実現を果たした人物の特徴として、以下を挙げています。

・孤独やプライバシーを好む。ひと りでいても充実した時間を過ごすことができる
欠乏や 不運に対して超然としていること。不運に直面しても動 揺しな い
・文化や環境からの自律性。ほかの人に簡単に左右され ない
・人生をいつも新鮮かつ無邪気に楽しめること。毎日が新鮮で楽しい
・しばしば神秘体験や至高体験などのすばらしい体験をしている
人類全 体への共感や同情。地球の裏側の出来事もわがことのように感じられる
・深い人間関係。深 い心と心の触れ合いを持 てる
・民主的性格。人 の上に立とうとせず、対 等な人と人としてかかわる
手段と 目的の区別。学歴や金銭といった手段そのものに固執しすぎない
悪意のな いユーモアのセンス。人を幸せにさせるユーモアの持ち主である
・創造性。クリエイティヴである
確固とし た価値体系。自分の価値観をしっかり持っている
人生を自分が 望むようにではなく、あるがままに見る能力を持つ
・人間を正確に判断し、偽物やインチキを見抜くことができる
他人の意見に 慎重に耳を傾ける謙虚さを持つ、世界を子供の様な無邪気な眼差しでながめる
自己矛盾が低 い、つまり自分自身の中で一貫性がみられる。
・社会の中では最も個人主義的なメンバーであると同時に、最も社会的で友情に満ち、愛情深いメンバーでもある
より多くの自 信とゆとりを持ち、人生に決して飽きない。つまり、彼らは日の出・日没・結婚生活・自然を繰り返し鑑賞する能力 を持っている。
・子供に関心を持っていて、子どもと仲がよいことが多い。彼らは他人 の長所をほめ、欠点を 無視することができる。

 実際にはかなり多くのスペースを必要としますので、興味のある方は、インターネットの情報や書籍などを参照してみて下さい。
 様々な部分で神示や霊訓、或いは哲学者たちが述べる事柄と共通していることが分かると思います。
 ここで取り上げる資料の中には、古い時代のものも多いために、中には生涯をかけて研究したマズロー博士の資料より古いものもあります。

 従って、自身の人生観から導き出した哲学者は自身が自己実現を達成した人物であったのかも知れません。
 しかし面白いもので、多くの人は自己や人生、周囲を客観的ではなく自己の望むように、つまりは自己中心的に観ようとします。

 また、自己中心の方が得だし幸せだと考えていると思います。善悪二元論でいえば、善人より悪人の方が得をするのだと考えている節さえあります。
 これは正に物理的な法則によって観測される、最も表層的な体験だからです。

 色々な学者の研究を見たせいか、表現まで学者風に小難しくなりましたが、物質的に見ると、与えるより貰う方が得だと明確に認識できるからです。
 心理的な気分の良さ、精神的な幸せ感は多くの人が理解できる筈です。しかし、それよりも、物質的な損得の方に負けやすいと言えると思います。

 そして人間はタイムセール期間限定セールに弱いのです。本来なら必要の無いものまで買ってしまったりします。
 つまり、生きている間には限りがある。その限りある人生で他人より得をしたり幸せに生きたい、という気持ちを中々捨てきれない、ということが言えます。 そこで次に生まれ変わりに関して見てみたいと思います。

死後存続の可能性

死後存続はあるのか

 心理学とは離れて行きますが、人間は死ぬとどうなるのか?というのは、多くの人にとって謎だと思います。
 その疑問を少しでも解明する方法は幾つかあると考えられ、その中に臨死体験というものがあります。
 臨死体験に関しても、医者の中では肯定派と否定派に分かれています。肯定派で言えば、ルーカネン・キルデさん(フィンランド前主任医療士官、医学博士) が知られています。

 彼女は自らが手術を受けている最中に臨死体験し、自分の体が手術されている所を見ているという体験をしますが、その最中に医療ミスがあり、動脈か ら大量の血が出てしまいます。
 術後に息を吹き返したキルデさんは、医療ミスについて、問いただしたものの答えは返って来ず、自らも医者という立場を利用して、自分のカルテを見ます が、そこで臨死体験中に見た光景と状況が一致していたことを発見します。

 否定派の研究というと、米ジョージ・ワシントン大学医学センターのチームのチャウラ博士が脳の血圧が殆どゼロになってから、急に脳波が活発になる という現象を突き止めました。
 これが、臨死体験をした人が見たとする光景(光や景色など)の正体だとしています。また、臨死体験者の多くは「やすらぎ、幸福感」などを報告するケース が多いのですが、これも事故などに遭うと脳内麻薬が分泌される為だと考えられています。

 文化的な影響も指摘されています。例えば、日本では死後にあの世へ渡る「三途の川」という考えがありますが、海外の臨死体験者も川を見るなどの ケースはありますが、日本人の方がより多く見ているようです。
 つまり共通したゲートのようなものがあるのではなく、その人物が作り出した幻覚なので、文化的・宗教的な背景が現れてしまうという訳です。

 米科学誌「Science」によると、スウェーデンの科学者らによる研究チームが、薬物を用いずに人工的な幽体離脱体験を誘導する実験に成功した そうです。
 これは「仮想現実体験ゴーグル」を用いて脳への知覚シグナルを混乱させることで、幽体離脱体験を誘導できるそうで、被験者にゴーグルを装着させ、その ゴーグルを介して被験者自らが別の場所にいる映像を映し出しながら、被験者の身体に触れる。すると被験者は、別の場所で何かに身体を触れられている自分を 見ているような、あたかも幽体離脱しているような感覚を体験するというのです。

 この実験では、被験者10人に1人の割合で幽体離脱の感覚を味わったようですが、右脳の大脳皮質にある角状回(空間の認識などを受け持つ)と呼ば れる部位を電極で刺激すると、「自分の体内から抜け出る」ような幽体離脱体験を疑似的に体験できることが分かっています。

 こうしてみると、確かに総ては脳内で起こる生理現象であるかのように思われます。ただ、臨死体験の報告の中には、一度も行くことのない向かいの病 棟の様子を見て、その内容が正しいことが確認される等、単に脳内の幻覚では説明できないケースがあることも事実です。
 既に故人となっている遺族と出会い、そこで聞いた話を意識が戻った後で確認したところ、事実と判明したなどのケースもそれにあたり、こうした事例に関し ての解明が待たれます。

生まれ変わりはあるのか

 死後存続の可能性を探る上でもう一つ参考になるのが、生まれ変わりがあるのか?という点です。
 ある人物は、かつて生きていた時代の記憶を持っていた、という例がありますが、昏睡状態から突然違う言語を話し始めるというケースも存在します。

 その中の一つ、クロアチアに住むサンドラ・ラリッチさん(13)という少女が敗血症の為に昏睡状態に陥りました。
 なんとか意識は取り戻したものの、目覚めると彼女はクロアチア語を話すことが出来ず、完璧なドイツ語を話すようになっていたのです。(ソース
 入院中の彼女には、家族が頻繁に面会に訪れるものの、双方のコミュニケーションが取れない(家族の話の意味は理解できるものの、クロアチア語で返答がで きない)状態であった様です。

Milas博士 その為に病院側が通訳を手配する程で、 このケースは非常に注目を集め、様々な医療専門家らが調査に当たったようです。
 その中の一人である、ミヨ・ミラス博士(精神神経科医)は「昔なら、これは奇跡と呼ばれたのでしょうが、我々としては論理的な説明があるに違いないと考 えたい。まだそれを発見していないというだけのことです」とコメントしています。

同博士によると、昏睡から覚醒後に、突然外国語を話すようになった事例は過去にも複数あるそうで、中には、古代のバビロンやエジプトで話されていた言語を 喋りだしたケースもあったようです。

 もう一つは昏睡状態な訳でもないのに、ある朝目覚めると突然英語を流暢に話し始めた、というケースです。 
 『Austrian Times』(2010年10月13日)によると、南部の都市ニシュに住むディミトリエ・ ミトロヴィッチ君(11)が3歳の頃のある朝、ベッドから起き上がると、いきなり流暢な英語で母親に話しかけてきました。
 母親(ドラガナ)によると、英語など一言も教えた覚えがないのですが、多少は英語を知っていたため、この時はまだ、息子が言わんとすることを少しは理解 できたようです。

 しかし、瞬く間に息子の英語は上達し、終いに通訳を雇わなければならないほどになり、5歳の頃には、ハリー・ポッターの小説すべてを友達らに英語 で朗読して聞かせるまでになり、今では必要な時以外、母国語はほとんど話さないそうです。
 ニシュ大学・言語学部のタチアナ・パウノヴィッチ教授は「とても興味深いです。彼と1時間、英語で話してみましたが、彼は私たちより英語が上手です。ま る でネイティブ・スピーカーのようにね」 とコメントしています。彼を診察した専門家らは、ある種の特異な才能を持つと考えているようです。

対抗催眠によって蘇った過去世

 人は幼児期の体験がトラウマとなり、成人してそのこと自体は無意識の領域に押しやられても、何らかの形で障害となって現れることがあります。その為に 「自由連想法」や「夢分析」などによって、その隠れたトラウマを見つけ出し、治療に役立てて来ましたが、やがて催眠を用いて行うようになりました。

 ところが、1982年にプライアン・L・ワイズ博士(マイアミ大学医学部精神科教授)が、水に対する恐怖心を持つ被験者の原因を探ろ うと、幼い頃まで対抗催眠を行なったものの、特に原因となるものが見つからず、被験者に「症状の原因となった時にまで遡りなさい」という指示をしました。

 ところが、その際に被験者は年齢は18歳、時代も紀元前1863年のことを語りだしたのです(生きがいの創造/飯田史彦:PHP研究所)
 そして、患者の心の傷を治療するためには、40%程は過去世に遡らないとならない、という結論に達しました。

 もっとも、霊訓ではこうした催眠による前世へのコンタクトは、そうした例があるとはしているものの、それほど肯定的に見ている訳ではなさそうで す。
 神示系に関しては、そもそも日本であまり利用されなかった為か、特に記述は見当たりません。

シルバーバーチの霊訓

・学べることが皆無というわけではありません。 が、そうした体験には、たんに現在の自分が立派でないから、潜在意識が立派でありた かった願望を描こうとする、一種の虚栄心の表れであることがあります。別のケースとしてそれにカルマがからんでいる場合があり、過去世において大きな影響 を及ぼした苦難または悲 劇を現世の呼び戻し、それを意識することでカルマが消滅することがあります。が、それがただの取りとめない“想像にすぎないことが多い”のです。もう一つ の ケースとして、催眠術における憑依霊のしわざである場合もあります。

・いわゆる遡及によって前世とコンタクトできるという事実は否定しません。しかし、必ずしもそうでないところに問題があるのです。それというのも、人間の 精神には莫大な可能性が秘められており、地上の人間には到底その深奥まで掘り下げることはできないからです。創造力もありますし、潜在的願望もあります し、 霊によって憑依される可能性もあります。こうした要素をすべて考慮に入れなくてはなりません。催眠中に体外遊離(幽体脱離)が起きて、その間の一連の記憶 が印象づけられることもあります。こうした場合は過去世を思い出していることにはなりません。

 つまり、実際に過去世にまで遡るということはあっても、想像や願望が現れるなどの不確かな要素が多いとしています。この点は前述のワイズ博士など は、恐らく80%が現実の記憶で、10%が象徴やシンボル、10%が歪みや偽りであるとしていますので、この点が乖離しています。

 もっとも、前世まで遡るのは相当深い催眠状態でなければならず、民間療法士などが数多ある海外などでは、そういったものも含めると信ぴょう性はか なり低くなるようです。
 ただし、しかるべき医師によって行われた対抗催眠では、被験者が語りだした過去世の内容の整合性が確認されたり等の事例が無数にあるのも確かです。

 また、ホイットン博士(トロント大学医学部精神科主任教授)が退行催眠中に被験者が自らの将来を予言するケース(人は産まれて来る前に、学ぶため に人生上で起こる出来事を予め計画するという証言が多くある:詳しくは後述)があり、それが近い将来のもので、後に事実確認ができたものは「つねに正しいことが証明された」のだそうです。

 そうした事例の中には、時に深い催眠状態下で「指導役」とする別人格が語りだしたり、過去世の前の生活(霊界のこと)の様子などを語る例も多く、 その内容を調べてみると、驚くべきことにスピリチュアリズムで高級霊たちが語ったとされる内容と ソックリなのです。
 以降は、そうした事例を元に、神示・霊訓などの内容と比べてみたいと思います。
 


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