ホツマツタヱには、五月五日に対応する祭りとして、以下の歌が残っています
五月五日の頃 | 受精して、五ヶ月と五日経った頃 |
一巡り、サツサ腹帯 | 一巡りの節目となって、サッサ腹帯の |
岩田なす、中管通る | 岩田をなして、中管を通って |
天の火(ほ)と、両親(たらちね)の火と | 天の火と、両親のの火と |
陰を招き、睦の因みの | 陰を招いて、睦び因みの |
露溢れ | 露が溢れるのです |
胎児は受精してから、五ヶ月五日目に節目となり、八股大蛇やハタレと呼ばれる汚穢に狙われやすい。その為にサッサ腹帯で、大蛇から防御するという
風習が上古時代にはあったようです。
ホツマツタヱで描かれる、大蛇からの防御法として、鈴明(すずあか)之道を守る、
夫婦和合をする等がありますが、その中の一つにサッサ腹帯を巻いて、大蛇から胎児
を守るという風習があったようで、実際に胎児の受精の時期がまちまちなのですが、季節として五月五日には、菖蒲と粽の祭りというのを執り行なって居たよう
です。
ちなみに「天の火と、両親の火云と陰を招き、睦の因み」という個所は、カタカムナでの生命の誕生条件である、陰陽の配偶と僭称界と現象界の正反の 融合と する思想と比べると、「陰陽を母父」「僭称界と現象界の正反の融合を天の火」と替えてみた場合に、極近いものがあるのではと思います。
ホツマツタヱの別の個所(八綾四鈴)に「ハタレの者の、うぐめ きて、五月蝿(さばえ)の声の、恐ろしく」と いう歌がありますが、大蛇やハタレとは「人の妬み煩う胸の火ぞ、大蛇と なりて、子種噛む」と人 の妬み煩いが、大蛇を生み出すのであるとしています。
因みに、変性男子、出口直女史の筆先には「大蛇が何時も付け 狙っているから、腹帯しっかり締めて云々」と、幾つか「腹帯」という文が有り、又「五月蝿(さばえ)なす云々」も見られます。
古事記、日本書紀のプロトタイプと言われているホツマツタヱでは、以下の伝承が残っています。
・御世継ぎの男神ウヒジニノ尊と、女神スヒジニノ尊の間に産まれた皇子が、手
に木の実を持って産まれてきた為、その実を植えたところ、それから丁度三
年目の三月三日に、花も実も百個に成るまで成長したので、その実を百(桃)の木と名付け、二伸も桃雛木(ももひなき)尊、桃雛実(ももひなみ)尊と名前を
変えられた。 |
上古の頃から桃の節句の原形があった事を忍ばせる話しですが、二伸の名前が桃雛木尊、桃雛実尊という事からも、雛祭りの原形があったと思われま
す。
昔の雛祭りなどでは、祓いに使用する型代(かたしろ)と呼ばれる人間の形をした紙を使っていたようです。
変性女子、王仁三郎氏の行動は雛形経綸行ったという点で、何かしら共通点が在るのかもしれません。
元来琴とは、祭事の際に奏でられる、雅楽として使用される楽器で有ったようで、その琴の音自体が、言霊と成り身体・精神の強壮と、大蛇を和(やわ)す効
果があるとしています。
前章でもホツマツタヱの世界では、(琴の葉=コトノハ)琴の音を言霊と同一視している事を紹介しましたが、大蛇を和(やわ)すというのは少し興味深い所
です
霊界物語中でも、言霊神歌を歌って、悪人を事向け和(やわ)すという表現がよく見られます。
琴の演奏によってという表現は無いですが、言霊によって言向け和すというのは、無論現代の様に何でも口で解決しようとするのとは又違う意味合いでしょ
う。
八雲琴の創始者、中山琴主(享和三年)(辻天水氏と共同で天言鏡を記録した 生 源寺勇琴氏の師)の『出雲琴考』という書物に、以下のような逸話が記されています。
文政年間に、大己貴(おおなむちの)命を拝もうと、出雲大社へ参拝に行った
折、国造佐美清なるお方が話されるには、大己貴命のものとされた天の沼琴(ぬごと)がこの国の琴引山に伝わっていて、この国が琴曲の元となる国であると話
された。 |
このエピソードは、鳥居礼氏によると、ホツマツタエに登場する「八雲打琴」や「葛垣打琴」等の伝承(伝承に出る素盞嗚尊の息子が大己貴命)との因縁を感
じるとのことで、興味深いことです。
個人的には、大本関連のことを調べるうちに、どうも大本とも因縁がある様に見えますが、鳥居氏が日月神示や大本神諭等を知ったら、どう考えるか興味深い
所です。