心・言・行

心と言葉と行動

 我々は「社交辞令」「本音と建て前」などを、暗黙の了解として利用しています。それは社会生活を円滑に営む為の、必要悪として捉えられています。
 また、心で思う事は自由です。心の内に思う事こそは、誰も進入できず、或いは覗かれる心配もなく、誰に迷惑をかけるものでもないから自由でいいじゃない か。誰しもがそう考えると思います。 

日月神示

●偽の生活にあった霊人は、この状態に入った時は、地獄的 暗黒に自分自身で向かうのである。かくすることによって、生前時における、あらゆる行為が清算されるのである。この状態に入ったならば、悪的なものは益々 悪的なものを発揮し、善的なものは善的な力を益々発揮する。故に同一の環境には住み得ないのであ る。

ホワイトイーグルの霊訓

・人は自分の思想に無頓着です。それは、他人の目 から、自分の思想は隠せると信じ切っているからです。しかし、霊界では思想はむき出しで す。すべてがあからさまで、誰の目にも、他人の思想は丸見えになってしまいます。もし、地上でもそうであったら、どうでしょう。男も女も、 自分の考えている 事が、人の肉体を見るように、見えたり聞こえたりしたら、もう、誰も大慌てで、自分の心の統制のし方を学ぼうとするでしょう。

 別の次元の世界(霊界)では、心に思う事が直ぐに相手にも知れてしまうと言います。またその内容によって、瞬時に霊性が下がるということもあるようで す。
 地上の世界では、先ず話し方講座や着こなし、仕草やマナー講座といったもので、自分を魅せることに重点を置くカリキュラムが多くあります。

 仮に、人の思想が見え、また霊性がオーラとして誰でも見える社会では、美肌やエステや日焼けサロンという外面を輝かす前に、内面を輝かすことに必 死になるのではないでしょうか?

 インターネットの世界では、誰もが好きなサイトに行く事が可能です。また似た様なサイト同士がリンクを張ったりして、 思想の異なるサイト同士とは、自ずと交流がなされない。また誰でも距離に関係なく自分の思想を不特定多数の人間に表せる点では、大分霊界の様相に似ている 感じがします。

 しかし匿名性が強く、法の整備も遅れがちなインターネットの世界では、時に闇サイト等が問題になったりします。
 匿名であるにも関わらず、多くの人が面識の無い他人に激励の花束を贈るなど、無償の行為が為される事もたまにありますが、全体的にはドロドロした醜悪な 面を見せる事が多い様です。

 これはそういったサイトがむしろ現実で、現実社会の方が虚構なのかも知れません。
実際は心が本質だからです。従って仮に霊界があるとするならば、心のままに匿名サイトさながらの闇が広がる状況になるでしょう。

※ちなみに、時折日月神示の中で表現が現代的なものがありますが、これは例の数字や神代文字ではなく、絵(絵画)として書かれたものを言葉にしたも のです。その分だけ、訳する役目の霊媒能力に委ねられる傾向があり、真偽については内容を吟味するしか無いでしょう。 

思う事が行為する事

 たまの礎という著書には、以下の様な一節があります

出口王仁三郎

・姦淫は慎まざるべからず。萬(よろず)の罪皆色 を慎まざるより起こる。肉体にては慎みて姦淫せざるものあれど、心に姦淫せざるは甚(はなは)だ少なし。心に姦淫したる者は肉体にて姦淫したるとその罪決 して異なることなし・・・

-『たまの礎』-

 心の制御というのは大変なものです。普通は余りそういったものを習う機会が無く、ほぼ放置された状態だということもありますが、それは裏を返せば あまり重要視されていないことの表れでもあるでしょう。

 言霊に関することも紹介しましたが、人が自身の言葉に影響を持つのは、心と行いが言葉と一致している状態です。
 何も霊的な法則云々ではなくとも、普段口にする言葉と行動が伴わない人が居れば、人は信用する気にはならず、当たり前の事でもあるのです。

 また、心が一致していない場合、言葉と行動が伴っていたとしても、何処かで破たんするものです。
 そして、どうしても潜在意識に刻まれたものは、行動という表面にも現れて来るものですから、いずれにしても長くは続かないでしょう。

日月神示

●歓喜は行為となる。行為せざる歓喜は、真実の歓 喜ではない。ただ考えたり意志するのみでは萌え出ない。生命しない。ただ意志するだけで行為しないことは、まことに意志する事ではない。 霊界においては意志する事は直ちに行為となるのである。

 次にウィリアム・ステッドという人物が送ってきたと言われる霊界通信を見てみます。
 ステッド氏は生前にスピリチュアリズムを研究した、新聞記者でもありましたが、タイタニック号の沈没という事故に巻き込まれて亡くなりました。
 その彼が、シェークスピア劇団に所属する、霊媒能力の高いウッドマンという人物を通じて通信(自動書記)を送ってきたのでした。

ステッドの通信

・湧いては消えていく取り留めもない雑念は別です。これは大して 影響力はありません。私が言っているのは、あなたの個性が反映している明確な考えのことです。
 それは良いにつけ悪いにつけ、その報いをこちらへ来てから受けることになります。
 そう言うと、心に思ったことをそんなに一々良心に照らしてコントロールしていたら身が持たないよ、とおっしゃる方がいるかも知れません。それは私も同感 です。
 が、100%はできなくても、私が述べたことを事実と受け留めてくだされば、その後のあなたの精神活動に、これまでとは違った厳しい目を向けるようにな ることでしょう。精神活動こそ大事なのです。

-『ブルーアイランド』/エステル・ステッド編:ハート出版-

 元々スピリチュアリズムを研究していた為に、別次元での順応が早く、沈没時には他の狼狽している霊を救出する作業をしていた様ですが、ジャーナリ ストでもある為に、現場の伝え方が非常に上手で、明快な内容です。 

親和力を持つ者同士が引き合う世界

 霊の世界(いわゆる霊界)というものは、その親和力によって引き合うものである様です。その人物の想念状態、又は思想とかの内面部分、或いは霊性 の程度によって、同程度の人達と同じ境域に住む様です。
 その霊性に程遠い場合は、どうやら感知する事すら出来ない。丁度地上に住む人間が霊界の事など感知できないと同様に、自分の住む世界が全てだと思う程、 他の次元は感知できない様です。

 それが一種の法則・秩序である様で、そのため、自ずから天国的想念の人は同種合いまみれる天国的境域に、地獄的想念の人はこれまた同種の世界に、 必然的に住むようになる訳です。
 今まで様々な項目を見てきましたが、実を言うと神示の中の分量としては、キに関するものが多く存在します。

日月神示

●外が善くて内のみ悪いと云うことないと申してあろう。内にある から外から近寄るのだと申してあろうが

●死ぬ時の想念のままの世界に住むのであるぞ。この世を天国として暮らす人天国へ行くぞ。地獄の想念、地獄生むぞ。

●この世を天国として住めんもの、天国に行ける道理ないのぢゃ。

●何も六ヶ敷いこと申すでない。自分の内の自分を洗濯して明らかに磨けばよいのぢゃ。内にあるものを浄化すれば外から近づくものがかわってくる道理。内 の自分を洗濯せずにいて、きたないものが近づくとか、世の中が暗いとか不平申して御座るなれど、そこにそなたの間違いがあるぞ。

●何か迫り来るのは、何か迫り来るものが自分の中にあるからぞ、内にあるから外から迫るのぢゃ。自分で呼び寄せているのぢゃ。苦しみの神、因果の神呼んで おいて、不足申している者多いのう。自分で呼び寄せながら嫌がってハネ返すテあるまいにのう。

●キつけてくれよ、キがもとざぞ、キから生まれるのざぞ、心配(こころくば)れと申してあろが、心のもとはキざぞ、総てのもとはキであるぞ、キはよろこび ざぞ、人間みなそれぞれのキうへつけてあるのざぞ、うれきキはうれしキことうむぞ、かなしキはかなしキことうむぞ、おそれはおそれうむぞ、喜べば喜ぶこと あると申してあろがな、天災でも人災でも、人間の心の中にうごくキのままになるのざぞ。この道理判るであろがな。

●善の祈りには善、悪の祈りには悪、祈りの通りに何もかも出て来ること、まだ判らんか。

●よい祈りにはよい感応、よい感応によい働き、よい信仰となり、よい生活生まれる。間違った祈りには間違った神、間違った生活生まれるぞ。道理ぢゃナァ。

●苦を楽として行かねばならん。苦と心するから苦しくなるのぢゃ。楽と心すれば楽とでてくるのぢゃ。ちょっとの心の向け方、霊線のつなぎ方ぞ

 時に猟奇的な事件が発生する事がありますが、普段の行動からはそんな人に見えなくても、大概の場合家宅捜査などで出てくるのは、同じ様な猟奇的な 映画であったりビデオであったりします。

 また事件が人間離れして、且つ本人が「頭の中で命令する声が聞こえた」等と供述する為に精神鑑定を受けますが、実際には正常であったりして、事件 当時には責任能力が無かった、という妙な結論になる傾向があります。

 全体のまとめの項にも記述しましたが、人は自分の思想に 近い存在を呼び寄せる(或いはラジオのチューニングの様に、自分と同じ波長の存在と通じる)傾向がある様です。
 上記の様な事件では、こういった傾向が顕著に現れた例かも知れません。

インペレーターの霊訓

・絶対不変というわけではないが、それが鉄則です。悪は悪を引 き寄せる。好奇心ばかり旺盛で見栄っ張りで軽薄な人間の周りには同じように軽薄で未発達な霊が寄ってきます。しかし純真無垢な善人には必ず しもその鉄則が当てはまらない事が有る。時として未発達霊からの攻撃にさらされる事がありま す。試練である場合もあり、邪霊集団の策諜である場合も有る。

・俗世的なものには、可能な限り、とらわれぬよう心がけることである。個人的見解というものも持たぬほうが良い。われわれにとって障害にしか なりません。ひたすらに永遠にして不変なるものへ向けて歩を進める事です。

・人間は災いを勝手に招いておいて、それをわれわれが阻止してくれないことに文句を言う。それを阻止するには交霊会の出席者みんなが心がけと生活と動機を 清潔にするほか無いのである。電気は何にでも流れるのではない。良導体だから流れるのである。物事は原因があって結果が生じる。霊も同じである。邪霊の働 きかけを疑うのは貴殿の目にそれが見えぬからに過ぎない。いずれその愚かさを知って驚く日も来よう。どれほど暗躍しているか、どういう悪影響を及ぼしてい るか、どういうことにまで及んでいるか、貴殿はまだ何も判っていない。

・さよう。人間 の周りには善悪さまざまな霊が存在し、未熟なる心が未熟な霊を呼び寄せているように、祈りに満ちた心が恵みの援助を引き寄せる ものであることを認識してくれればあり難いのであるが。

シルバーバーチの霊訓

・霊の世界も地上界から送られてくる人間によって構成され ています。ですから、人間がみんな聖人君子であってくれれば、霊界も聖人君子ばかり になるのですが、残念ながら地上から送られてくる人間は利己的で邪悪で、他への思いやりがありません。地上界に居た時と同じレベルのままこちらへ来るわけ です。
 ですから、親 和力の原理で、同じレベルの地上の人間と簡単につながりができます。低いものであれば麻薬とかアルコールなどの習慣で霊界の低級霊が引っ付 きます。高潔な人間であれば高級界の霊とのつながりが出来て、崇高なインスピレーションに接する事が出来ます。

ホワイトイーグルの霊訓

・人間の魂は不思議な機械です。思いのままに、沢山の放送 局に波長が合わせられる受信機です。あるいは欲望と不安渦巻く暗い幽界に、あるいは すべての生活が神の美の表現である境域へ、もし望むなら、太陽系の諸天体までも。人間とはまことに天馬の羽を授けられた生き物です。しかし、これを使いこ なすには、無辺の美の世界へ参入する法を学ばねばならないのです。

・喜びといい苦しみといい、自分が招いたものを、誰しも避けることは出来ません。人間とは磁石のようなもの です。それも、自分自身を自分に引き付ける磁石 です。これは不可避の法です。つまり自分がいつも考えている事、自分が常に行っている事、それと全く同じものを引き寄せているのです。

 以上の様な具合で、それこそ枚挙に暇が無いほどになってしまうのですが、霊的な法則だ、鉄則だ、という事を抜きにしても、前述した様に心の思いは最終的 に隠せず、何処かでボロが出るものですから、正すに越したことは無いでしょう。

 人は効果が遅いものに関しては喩え物質的なもので、十分納得できることでも放棄してしまう傾向があります。
 たとえば、メタボ対策やダイエット、ピアノや競技の習得など、多岐に渡りますが、練習や訓練で現れる効果は少しずつで、時には少しも進歩していないよう に見えたりしますが、振り返ってみると一年前よりずっと進んでいたりします。

 が、総てを極めるというのは現実的では無いですが、大概のものはまぁいいやで放棄してしまいます。
 これが又目に見えない、効果も何だかよく分からないでは、継続は非常に難しいと思います。しかし哲学の項で後述しますが、多くの人が訴えている事柄でも あり、世界の様々な人が現実に効果を上げているものでもあるのです。



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