疑問点

物質が何故霊となる?

 これまで見てきた中でも、まだ様々な疑問点があることと思います。自分も昔は多くの疑問点があり、その為に霊的な事柄を疑ってきました。それら を、スピリチュアリズムの観点から、みてみたいと思います。

 幽霊を見たなんていう目撃談は、古今東西様々な国や地域で語られますが、百歩譲って人間には魂(スピリット)が 存在するとして、何故そのスピリットが目撃される時には服を着ているんだろう?という疑問があります。

 自分自身、服に魂がある訳が無いだろう、という疑問はありました。それどころか、下手をすると幽霊船や幽霊バスまででてくるという有様で、果たし てこれはどういう事なのだろうか?と思いますが、人間が他界すると、親しい人が案内に赴くそうですが、これが又本人と認識しやすいように、当人がよく着て いた服に、その縁故者が亡くなった当時の姿で現れる様です。

 亡くなった場合のショックを和らげる為に、様々な配慮が行われると言います。その為に、仮に自身が亡くなった場合に、かつてをよく知る既に故人と なっていたお爺さん等が、迎えに来るようですが、その際には生前の姿を見せる為に、年齢や服装も当時のままで可視化するようです。

 どうしてこのような芸当が出来るのかと言うと、霊妙な成分で出来ている別次元の世界では、意念が力を持つようで『ベールの彼方の生活』等でも、意念によって像の姿や大きな木を現出させる訓練をす る人たちの様子などが述べられています。

 その他多くのものに、意念で物体や服装など様々なものを創出する様子が語られていますが、物的な法則に支配される地上では、むろんあり得ない事で す。
 ただし、この法則自体は活きているらしく、これまでにも述べたように、理想の体をイメージしつつ行うトレーニングや、或る事柄をありありとイメージする 事によって、それを引き寄せる効果などが知られています。

エルドリッチ また、素粒子レベルでは観測者の意志に沿うような振る舞いを見せ たり、素粒子自身に意志があるかのように振舞うなど、物的な法則が役に立たない世界である事も述べました。
 それとは別に、アポーツ現象(物品引き寄せ)と呼ばれるものがありますが、これはスピリットに言わせ ると、一旦原子レベルまで分解して、また別の空間で元に戻すらしいですが、相当に条件が整わないと難しい様です。

 これに近いものと思われるのが、量子テレポーテーション実験、原子を使い成功というニュースと、フィラデルフィア計画であろうかと思われます。
 ミクロの世界は不思議な事が多いですが、それが更に霊妙化し、物体として構成される別次元の世界では、文字通り次元を越えた理解し難い現象があっても、 そう不思議では無いのかも知れません。

人の性質は脳が決めるのでは?

 『正食について』にあるように、ある程度人の性格と言うのは食生活にも 影響を受けるようです。また、脳の前頭葉に障害を負った人物が、その後に性格が一変したという事例もあります。
 つまり、霊性の進化とか、転生を繰り返して成熟した魂や、幼い魂だとかの話ではなく、人の性質は脳が決定付けているのではないか?という疑問がありま す。

 また、例えば認知症やアルツハイマーなどで、時に健康状態であった頃に見られなかった、性格の変化を来す場合があり、更に脳内で分泌されるホルモ ンのバランスによっても変化する事があるようです。

 その為、やはり人の性格は脳で決定されると考えられますが、何ら物質的には変化はないものの、以前とは見違えるように変わる人が居る事も事実で す。これはどのように考えたら良いのでしょう。
 後者の場合は記憶・知識などによって考え方が変化すると言えます。全く同じ遺伝子を持っていても、能力や好みは変わらずとも、産まれ育つ環境が違う国 だったりすると、考え方や価値観に違いが生まれるでしょう。

 前者の場合は、性格の変化というよりも、機能障害、丁度壊れたロボットに幾ら正しい命令を下しても、意図しない動作をするようなもので、本来の性 質を発揮できない状態と言えます。
 このように、性格そのものは様々な要因によって形作られますが、脳で決定される部分もやはり否定できない要素であるようです。この点について、シルバー バーチ霊によると、個性(パーソナリティ)とインディビジュアリティは違うと言います。

 これは類魂にも関わって来ますが、一回の人生で人間が纏う個性をパーソナリティと呼び、類魂全体の個性(本霊 などと呼ばれます)が、その人物の本来のインディビジュアリティとして、両者を区別しています。

 本来のインディビジュアリティをダイヤモンドに喩えて、地上に再生してくる個性(パーソナリティ)を ダイヤモンドのカットの一側面としています。
 深層心理も含めた意識の総てをインディビジュアリティとした場合、地上に産まれて来る個性は、その僅か表面に出てくる表層意識に喩えられるのではないか と思います。

 何故このような事が起こるのか?というと、生まれ変わりの研究の中で、敢えて障害を持った肉体を選び、魂を鍛えようとするスピリットがいるという 事が分かりましたが、恋多き個性の肉体に宿り、敢えて実らない恋を沢山することを選択する霊の事も語られており、後者はスピリチュアリズムの中では聞きな れない事例ですが、ひょっとすると、地上で発揮する能力の他に、個性(パーソナリティ)なども選択肢の 中に入っているのではないか?という可能性があります。

 もっとも、人間性そのものでいうと、ある程度進化した魂が、次の再生時にひどく退化した霊格であるとか、逆に動物性を多分に残した魂が、生れ変 わった途端に気高い人格を表現し始めたなどは、あり得ない様です。

霊の語ることに矛盾があるのは何故?

 これも又多くの要素があり、上記の様に魂自身の意識によって状態が変わる為に、例えば死の際に着ていたものとは違う、お気に入りの服装を死後着ているこ とに気が付いたケースもあります。
 それと同種で、魂自身が食べることを必要と思っている段階では食べる行為があり、また「寝なくちゃ」と思っている魂は寝ることもあるようです。

 しかし、霊界での生活に慣れて自覚が芽生えると、つまり「寝なくても大丈夫らしい」と気が付くと寝なくなったり食べなくなったりする様です。
 それに当人が住む世界以外が感覚の対象とならない為に、或るレベルの界に属する魂と別のレベルの界に属する魂とでは、語ることに違いが生まれます。

 地上の世界から次元が離れる程、四次元的というか、驚異的に思える事柄が大きくなり、次元が近い程、地上にソックリなようで、これも死後のショッ クを和らげる為であるようです。
 次に、人間にも様々な人がいるのと同じで、魂にも様々な個性があり、中には悪意を持って嘘を語る場合もあれば、理由もなく変なことを語って人間をけむに 巻いて喜ぶ魂もあり、総てが正直という訳ではないのです。

 高級霊になれば、このような事はしないので、信頼性という点では高いのですが、今度は高級霊自身が波長を下げて地上界に近づき、更に地上の霊媒が 波長を上げて近づく必要がある為に、メッセージの受け渡しはそう簡単では無いのです。

 次に、霊媒の持つ潜在意識を利用するという点があります。外国の魂が日本人の霊媒に懸り、日本語を語ったりするのは、言葉としてコミュニケーショ ンを取るのではなく、意志が伝わるのに加え、その霊媒の潜在意識にある言葉を利用するのが普通のようです。

 完全なトランス状態で、まるで霊媒の体を乗っ取ったような形で語るよりも、ずっと楽な様です。
 そして、意識の世界の魂は人間の潜在意識を実感あるものとして操作できるようで、その為に、霊媒自身の潜在意識に偏見や偏った見方があると、それにある 程度影響されるらしく、これなら学が有りボキャブラリー豊富な霊媒の方が良いのではないか?いやそれ自体が、偏向の原因になるので、なるべく地上的な教育 を受けていない霊媒の方が良い、と高級霊の間でも意見の分かれる所のようです。

 以上は主に西洋のスピリチュアリズムで語られている事柄ですが、日月神示上にも以下のものがあります。

日月神示

●動物霊が人間の言葉を使ふことは、フに落ちないと申すものが沢 山あるなれど、よく考へて見よ、例へば他人の家に入って、其処にある道具類を そのまま使用するのと同じ道理ぢゃ、判りたか、動物霊でも他の霊でも人間に感応したならば、その人間のもつ言葉を或る程度使いこなせるのであるぞ、故に日 本人に感応すれば日本語、米人なれば英語を語るのであるぞ。

 上記の「其処にある道具類」というのが、潜在意識であると考えられます。従って、道具の種類が多く(ボキャブラリー が豊富)で、洗練されている方が、使い勝手は良いということになります。
 産まれてこの方、「アホ」「マヌケ」「トンチキ」みたいな事しか読んだり聞いたり話してない霊媒では、霊の方でも困ってしまうでしょう。

 その為にある程度霊媒の色が載ってしまうのです。又人を騙す目的で近づく霊にとっても、被験者の潜在意識の中から故人の情報を読み取り、巧みに化 けるという事が可能らしく、その意味で信頼性のある通信を得るというのは難しいのです。

 交霊会でも「何かインチキを見つけて暴いてやろう」という意識を持った人間がいると、そのネガティブな念が邪魔をして高級霊の通信の妨げになり、 逆に同じレベルの波長の霊が寄ってくるということで、交霊会の最中だけは、愛念を持った素直な気持ちで居てほしいと言います。

超えられない苦難は無いのか?

 シルバーバーチも「あなたに耐えられないほどの試練や危機に直面させ られることはありません」と語ります。
 これと同様のことは『神示と心理学』で紹介したBさんの会話の中にも登場しま す。

 にも関わらず、日本では毎年3万人を超える自殺者が相次いでいることはご存じの方も多いでしょう。
 本当に超えられない苦難は無いのだろうか?と疑問に思うのももっともだと思いますが、先ずはこの先何が起こるのか分からないという無明であることの恐怖 というのが考えられると思います。

 今までに辛い体験が多かった、恐らくこれからもそうだろう、というネガティブな思考に陥っていることも原因の一つでしょうが、未来がどうなるか分 からない、この先もっとひどい事になる、という漠然とした不安が余計に負担となるのだと思います。

 つまりここで紹介したような霊的真理を知らない、または信じていない為に、運命は定められたもの、自ら運ぶものというよりも、流されてしまうもの で、どうにもならないのだという誤った認識と、これ以上耐えきれない程の負担が来るに違いないという諦めのような感情も余計に心理的負担となっているで しょう。

 例えば、日本はこれから少子化に進み、莫大な財政負担も抱えて、未来は今よりずっと悪くなる、と考えている人が多く居る様に、先のことが分からな い事が余計に悲観的な予想をしてしまい、余計に元気を失ってしまうようなものです。

 また上記Bさんの言うような「愛のある前向きな対応」を取ることで未来は明 るくなる、ということを知らない、もしくは信じられないということもあると思います。
 逆にネガティブな思考や対応が、更に本人が超えるべき試練を運んでくるので「どんどん悪くなる」というのが、事実として認識してしまい、「悪い予感程当 たるもの」という具合に、どんどん悪い方へ引きずってしまう要因となるでしょう。

 病は気からと言いますが、病気の疾患に関しては我々の予想以上に心的要因が含まれています。日々受けるストレスや心配なども病気の要因となるので す。
 日々の食事なども原因の一端になるでしょうから、もう少し霊的真理が認識されていれば、と思えるのですが。

 そもそも、自殺すること自体が霊的な真理を知らない為に、「死ねば楽になる」とい う誤った認識から起こります。
 しかし、実際には死んでも住まう次元が異なるというだけで、物的(借金や病気など)な負担からは解放 されても、魂自体はそうした苦悩から解放されません。
 また、目的を持って産まれてきたのに、途中で生きるのを放棄してしまったことを認識(思い出して)し て、後悔することになるでしょう。

 しかし、毎年3万人の自殺者という数値は、現代のイラク戦争で死亡する兵士よりもずっと多いそうで、ある意味では日本は今戦争状態にあると言えます。
 ソース:「戦 場より日本の方が死亡率高い?自殺について考える」

 何も自殺する人が悪いというばかりではなく、そうなった背景には我々日本人全体の問題も含まれています。
 全体が「愛のある前向きな」対応を心がければ、全体が明るくなるのは自明の理です から、霊的真理云々は関係なしに自殺者はずっと減る筈です。

 更に霊的真理が真実のものとして認識されれば、更に自殺して途中離脱する人は減ると考えられます。 

心が実体

 このサイトで紹介している法則は果たして本当なのか?そもそも、真面目に見える人が艱難辛苦していて、悪く見える人が得をしているかの様に思えることが 多いのはどうしてなのだ?という疑問もあると思います。

 『生きがいの創造』によると、人は生前に試練として受ける出来事を予め設定 しているけれども、それにうまく対処できない時は更に新たな試練、うまく対応できた時(上記の愛のある前向きな対処と 同じ)には、自分自身で何らかの”ご褒美”を設定しているようです。

 ところが、一応試練ですから、そうそう簡単では無いのです。自分自身が辿ってきた中で次に未開発の部分を掘り起こすので、それなりの負荷がありま す。
 例えば何事も感謝する、などと言えば聞こえは良いですが、平和で満ち足りた状況なら割と簡単ですが、苦難の最中にある時には難しいものとなります。

 そういった、個々人で克服したいと願う弱点に負荷がかかるよう、各自に設定するので、怒りっぽい人は、怒り易いような環境に敢えて身を置いたりし て、自己の弱点を克服する試練と出会うことになります。

 日本はストレス社会だと言いますが、何らかの負荷で練りまわさないと試練にならない為に、各自の到達点に見合った大きさの負荷がかかりますが、そ こでつい弱点をさらけ出してしまうのです。
 いわば本性(或いは限界点)が出てしまうのです。これが上記のような日本は今戦争状態にある、という 状況に陥っている原因だと思われます。

 人のことにかまっては居られないのです。ついでに何らかのストレス発散や八つ当たりの為に他人を傷つけたりします。
 ところが、これが心配も憂いも無い、不自由の無い満ち足りた環境になると、人々は今よりずっと穏やかになるでしょう。

 これは良い事のように思われますが、本性が剥き出ていないので、実は魂の開発も停滞してしまうのです。

ジェームス・アレン

・ 環境がじゃまをしている?そんなことは、もう二度と言わないことです。あなたの環境は、決してあなたに敵対するものではありません。それがあなたの周囲に 存在するのは、あなたを助けるためなのです。
 あなたの周囲で発生する、あなたの優しさや心の平和 を脅かす物事のすべてが、あなたの進歩には不可欠なものであり、それを通じてのみ、あなたは学び、成長し、成熟することができるのです。

・もしあなたが完璧に誠実な人間であるならば、厳しい試練に直面したときには大いに喜ぶことです。「神聖な法則」の存在と機能を自分が完璧に信じているこ と、そして、自分はそれにつねに忠実であるということを証明することです。そして、そのための絶好の機会を与えられたことに、心から感謝し、こう宣言する ことです。
 「いまこそまさに、神聖なる試練のときである!≪真理≫が輝かしい勝利を収める時が訪れた。私は、たとえこの世界を失うことがあっても、正義をないがし ろにすることだけは、絶対に行わない!」

 インペレーター霊は、人間は一枚一枚、本性に染み込むようにして善化するのが本当で あり、宗教のように信仰を告白したり懺悔すればたちまち天国に召されるなどは断じて無い、あり得ないと語ります。

 ところが、この一触即発、危機一髪、今際の際のような状況は、自己の弱点を認識できる代わりに、却って霊性がひねくれる、曲がる要因にもなり得ま す。
 そうならない為の指標として、霊的真理は知らないより知っていた方が良いと言えます。

 一見して真面目に誠実に生きている人も、実際には単に我慢して、感情に蓋(ふた)をしているだ けの場合があるでしょう。
 ここが難しい処で、自分自身でも真の意味で理解できているのか分かりません。うっかり忘れることも多いからです。

 霊とか魂とかを信じない人でも、心が存在することは否定しないでしょう。あなたの実態は肉体では なく、その心だと考えてください。

日月神示

●文字書くのは心であるが、心は見えん。手が見へるのぢゃ、手見 るはまだよい方ぢゃ。筆の先しか見へん。筆が文字書いていると申すのが、今の人間の考へ方ぢゃ、筆が一番偉いと思ふて御座るのじゃ。

●戦は今年中と言っゐるが、そんなちょこい戦ではない、世界中の洗濯ざから、いらぬものが無くなるまでは、終らぬ道理が分らぬか。臣民同士のいくさでな い、カミと神、アカとあか、ヒトと人、ニクと肉、タマと魂のいくさぞ。己の心を見よ、戦が済んで いないであろ、それで戦が済むと思うてゐるとは、あきれたものぞ、早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一。さびしさは人のみかは、神 は幾万倍ぞ、さびしさ越へて時を待つ。

●そなたのもつ悪いくせを治して下されよ。そのくせ治すことが御神業ぞ。自分で世界を建直すような大きこと申して御座るが、そなたのくせを治すことが最も 大切な御用でないか。これに気がつかねば落第ぞ。

●そなたのもつ悪いくせを直して下されよ、それが御神業ぢゃ。神々様も自分のくせを直すために御苦労なさってゐるぞ、そのために生長する。昨日の自分で あってはならんぞ。六十の手習でとまってはならん、死ぬまで、死んでも手習ぢゃ。

●なくて七癖、七七四十九癖。悪い癖直してくだされよ。天国へ行く鍵ぞ。直せば直しただけ、外へひびくものが変わってくるぞ。よくなってくるぞ。変わって くれば、外からくるもの、自分にくるもの、変わってくるぞ。よくなってくるぞ。幸せとなるぞ。よろび満ち満つぞ。

ジェームス・アレン

・ この宇宙は、思いから成長しました。物質は、物質化された思いにほかなりません。私たちが達成したあらゆる物事が、最初は思いでした。作家も発明家も建築 家も、まず最初は、自分の心のなかで調和のとれた完璧な作品を創造し、つづいて、それを物質レベルにおいて再現しはじめます。
 あなたの思考エネルギーは、すべてを納める≪法則≫と調和したものであるときには、とても創造的ですが、それと矛盾したものであるときには、極めて破壊 的です。≪法則 ≫に対する完璧な信頼を手にしたとき、あなたは、その「善」と協調し、あなたの内側にあるすべての「悪」を雲散されられます。

・まず第一に、自分の内側に深く侵入し、 そこに潜んでいる敵を征服するよう努めることです。そうすることで、あなたは、自分の思いの静かなパワーに関する明確な理解を手にできま す。そのパワーと外側の出来事との密接な関係を理解できます。あなたの人生の諸状況を変化させる、そのパワーの驚くべき威力を理解できます。と同時に、あ なたの人生に影響を及ぼすパワーを持っているのは、あなたのみである、ということも明確に知ることになるでしょう。

 自分の内側に天国を建設せよ、とはイエスもシルバーバーチを始めとする高級霊たちも語ることです。
 地上天国をあちこち歩き回ってもあるものではなく、自分の内側に天国を建設する、ということは、ハルマゲドンとか善と悪の戦いなどというものも、外側の 悪を指すかのように思われますが、実際にはその戦いは自分の内側のものと考えられます。

 これは単なる「悪」と言えるものばかりではなく、不安や心配、不平不満などネガティブな思い全般に及びますから、先ずは内側の自分に勝利しなくては法則 は正確に、不安や不平不満の方へと働くでしょう。

 真面目に見える人でも、それは現行法的に問題ないというだけで、内側の自分を一枚一枚薄皮を剥がすように脱皮しないと、変わらないことになりま す。果たして何も霊的真理を知らない人で、ここまで実行できている人がどれだけいるでしょうか。
 一見真面目に見えた人が、ある事件の犯人であったりして驚いた、という例はそういった内側の戦いに負けた状態とも言えます。

 また魂は永遠であるという視点に立たないと、中々判断も難しいでしょう。人の人生は浮き沈みがあるので、沈んだ所だけ抜き出せば悪くも見え、また 順風満帆の時だけ抜き出せば、まるで違って見えます。

 それと同じで、一度の人生だけを見てみれば、悲痛に思えたり幸福に思えるものも、永遠の視点からすれば、均衡は必ず取り戻すと言われます。
 シルバーバーチ霊は、他界してこちらの世界に戻ってきた魂で、如何なる悲運の一生を送った者でも「私は神より不当に扱われた」と訴える魂に出会った事が 無いと言います。

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