内在の天国

神の火花

 前節で述べたように、内在の天国を建設せよ、とはイエスも『神 示と霊訓』で分かる通り高級霊も語ることです。
 同時に「人は神であり、神は人である」ということも語っていますが、これは『啓示の歴史』 で紹介したように、黒住宗忠が人は総て天照大神の分霊をいただいている、と説いています。

 神を大きな光とした場合、人間はその光の構成要素である、光子一つというような、そういうイメージではないかと思います。
 総ての物質には霊が物質としての存在を与えている、ということを述べましたが、あらゆるものに存在を与え、生命を賦与しているのが神であり、シルバー バーチが神を「大霊(グレート・スピリット)」と呼ぶのは、こうした意味合いがあるのだと思います。

 実は人間はその体が自分なのではなく、本質は霊だと述べましたが、霊がまとう幽体が人間という訳でもなく、実際には”光”とか”色”で認識され る、形態の無い意識体のようなものらしいです。
 聖書に「神は自分に似せて人間を創った」とありますが、これが昔の人は王様の格好をした巨人のような姿を想像してしまったのです。

 人間は人間型の物質ではなく、前述の意識体のような存在ですから、神も形態の無い想像できない程の意識体のような存在であるかも知れません。
 何が言いたいかというと、人間の深奥の部分は神と不分離で繋がっているという事です。それで、神を光とした場合に、人間はその光子一つではないか?と想 像したのです。

 そして、内在の天国、あるいは大我に接する道とも呼ばれていますが、これがまた当サイトで紹介した哲学者たちも、「潜勢力」など様々な表現で伝え てい る力というものも、内側にあるようです。

大我に接する道

 この大我に接する道というのは、神法に従って歩む以外に無いと言います。

シルバーバーチ

・人間は本来その内部に、病気を治 し悩みを克服する力を持っている。つまり天国は内部にある。しかるに、人はこのことをほとんど知っていない。この大我に 接する道は、神法に従って生きるより外に無い。しかるに、幾人がそれに従って生きているか。

・決して、人が神であり、神が人である事を忘れてはいけない。神 のものである力、すなわち貴方の中に在る力、この力 あればこそ、貴方はいかなる物質にも 勝って、それらに犯されるものではない。 これがまさしく、一切の悪をしりぞけ、病気を克服して、あらゆる障害と戦うことのできる力である。

 神法というのは、総ての次元・世界を統括している"法則"のことです。つまりは当サイトで紹介した、原因と結果(カ ルマ)の法則、鏡の法則、内側にある ものを引き寄せる法則などは、神法をカテゴリ別に分類したものだと考えればよいと思います。

 この神法に従って生きる、大我に接する道も上記のように病気を治癒したり、あやゆる困苦を跳ね除けるような、まるで魔法の様にも見える結果を生み 出すようです。
 現実に中村天風氏は、当時不治の病とされた肺結核症にかかったものの、治癒しています。

 基本的に病気治し、ご利益信仰などが無いスピリチュアリズムですが、自分で自分を救う道という解釈もできるかも知れません。
 中村天風氏が完全治癒した方法とは、瞑想なのですが、実は魂の静寂を求めて、しばし魂の内側にこもる、静寂(精神統 一)を求めるのは高級霊たちも、J・ アレン氏などの哲学者たちも同じなのです。

シルバーバーチ

・道はそのうち示されます。導きを 祈ることです。あなたもこれまでの人生で、もう少しで人間への信頼を失いそうになるほどの精神的打撃を受けてこられまし た。しかし、信頼を地上への人間にのみ置いてはいけません。
 神すなわち愛と叡智(えいち)と 知識の権化である大霊が存在します。疑念が生じた時は精神を統 一して物質界の喧騒(けんそう)か ら逃れるのです。すると霊的理解が得られます。
 統一状態が深まれば深まるほど内的な安らぎ、静寂、安心感、決意といった ものが深まり、自分にとって最良のものが授けられるとの確信をもつことができるようになります。私からお答えできるのはそれだけです。

ジェームス・アレン

・誰にも、またいかなる騒音にもじゃまされることのない、自分だ けの場所を見つけ、そこで毎日、静かな時間を過ごすようにすることです。そのための時間を朝と昼 と晩にそれぞれ15分ずつとれれば理想的です。
 その場所に入ったら、まず快適な姿勢をとり、つづいて、自分の心を、自分に不安をもたらしているものから遠ざけ、過去の幸せな出来事に集中して向けるこ とです。この作業は、目を閉じて行った方が効果的かも知れません。
 この出来事を生き生きと思い出すことです。それを、心の中でしっかりと体験し直すことです。その時の気温や、そのときに着ていた衣服を肌で感じることで す。そのときの情景をハッキリと思い浮かべ、そのときの感情を生き生きと蘇らせることです。その「良いこと」に意識を集中することです。
 間もなくあなたは、自分の心が「穏やかな強さ」のフィーリングで満ちていることに気づくでしょう。自分の心が不安に満ちた低レベルの状態に後戻りしたと 感じたときには、すぐにまたこの作業を行い、それ(心)を 速やかに平和と強さの次元へと引き戻すことです。

 魂の静寂さは、多くの人が言及していています。霊訓のそれは無心の瞑想のそれを思わせますが、アレン氏は楽しい思い出を追体験するように"積極的な想像 "を推奨しています。
 自身が優れた心霊治療家である、M.テスター氏は、心頭滅却自体が難しいので、リラックスした状態で、白いバラを思い浮かべるなどの方法で精神統一を推 奨 しています。

 つまり、それぞれに方法が異なるのですが、内的静寂(精神統一)を推奨しているのは同じで、 M.テスター氏はこれを「背後霊とのコミューン」と呼 んでいます。触れ合いという感じでしょか?
 実際、こうした湖水が鏡のように穏やかで静寂な精神状態の時、或いはポジティブな時に、インスピレーションを受けやすく、高級霊が近づきやすい状態なの は前述しました。

 自分はこうした記述を見つける度に、昔の武士の精神統一などを想起してしまうのです。実際、明 鏡止水(一点の曇りもない鏡や静止している水のように、よこしまな心がなく明るく澄みきった心境)無念無想(いっさいの妄念を離れた無心のさま。あらゆる雑 念がなくなり心が透明になるさま。無我の境地)など、日本語には多くの表現があります。

 現実に何かあった時に、慌てたりすると能力を発揮できませんから、何事が起こっても泰然自若とする胆力を養う必要があったのでしょう。
 しかし、不思議なことに筋肉は鍛えることで強化できますが、精神はむしろ静寂の中に置くことで強化するようです。

 こうまで知りつつも、湯船に浸かっている時などに時折行う程度でしたが(体温が上昇し、のぼせるので余りお勧めできません)しかし、こうして書い た以上は自分も実践していきたいと思います(笑)

価値観の転換

 S.R.コヴィー氏は、学生たちに残り二週間という寿命を設定してもらい、そのつもりで行動してみるように課題を出したことがあります。すると、それま で とは価値観が180度違ってしまい、生徒たちは家族に手紙を書くなどの、普段見られない行動を取り始めたそうです。
 自分の寿命を理解すると、人は物的な視点から転換して「ああ、惜しい人を亡くした」と言われるような行動を取り始めるようです。

 実際、人間の寿命はスピリチュアリズムの観点からすると定まっていますが、当の本人は表層意識では覚えていません。
 従って、ずっと先まで生きるつもりでいても、現実には明日死ぬかも知れないし、半年後かも知れないですね。

 その意味では人は誰でも、いつ死んでも良いように生きるのがベターな筈ですが、中々難しいものです。
 そして、間もなく寿命を迎えるという場合の人間の心境は、人間関係(誤解やわだかまりなど)の修復 や、後に残す人達へ忘れずに伝えたいこと、出来る限り 一日を精いっぱい生きる事などへシフトし、もはや物的な価値を有するものへの執着を捨ててしまいます。

 一切を自分として捉える”大我の視点”と、いつ死んでも後悔の無い生き方というのは、難しいですが理想的です。(そ してこれがまた、昔の武士などの姿 を想起してしまいます)
 こうしたものを上記の静寂(精神統一)の時間などで想像してみる、というのも良いかも知れません。

 また、祈りに関しても余り取り上げていませんでしたが、大我の視点からすると、一切の存在の進化・向上を願う祈りが良いと思います。
 高級霊は、そもそも祈りとは波長を高めて高次の世界と通じる為のもので、個人的な要望などを述べる為のものではない、と語ります。 

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